愛しいひと
またしばらく間が空いてしまいましたが、
この間に私は、自分の歴史と向き合わなければと考えてました。
まだ迷いはありましたが、書く事にしました。
年の暮れに、祖母が亡くなりました。
大正9年生まれ、享年97歳でした。
お葬式の準備で出てきた古いモノクロ写真の少女は、涼しげな眼差しが印象的で、可憐で内気そうな表情からは、人懐っこくおしゃべり好きな姿は想像できず、美しいなと思いつつも、ギャップに思わず頬が緩みました。
忙しかった母に代わり祖母に育てられた私は、家族のことを何度も聞かされて育ちました。
曽祖父は炭鉱町の鍛冶屋で、農具や家庭用の刃物を作る傍ら、趣味で始めた刀が評判になり、弟子を取り晋代を大きくしました。
大きな商家でも炭鉱の役付でもなかったのに、3人の娘を女学校に入れられたのだと、祖母はいつも誇らしそうに、娘時代の思い出をたくさん話てくれました。
戦争が終わったのは、祖母が20代の頃でした。
農家相手の仕事で、食べるものには困らなかったけれど、戦争裁判が始まり、兵隊に出ていた人たちが戻ってくると、徐々に軍刀が凄惨な事に使われた事が耳に入るようになり
身の危険を感じた曽祖父は家中の刀を叩き割り、以来作刀をやめました。
資料もほとんど処分され、どんなに精魂込めて打ったのか、献上した物がどんなものだったのか、
まだどこかに残っているのだろうかと、祖母とよく家に一枚残った書状を見ながら、我が家の華やかなだった頃に思いを馳せたりしていましたが、
大人になり、心の中には、曽祖父の打った軍刀を手にした人の犯した罪と、その暴力を受けた人の凄惨で理不尽な死の存在の方が大きく重くなっていきました。
あの頃は、人の尊厳や平等や命がとても軽く、代わりに当時の写真を見ると、ご近所さんや友人といつも一緒、みんな一緒。
孤独感がないその代わりに、毎日死と隣り合わせなのに牧歌的な雰囲気が漂う、そんな異様さを感じました。
コミュニティーの外では、徴用された朝鮮の人たちが不当な扱いと過酷な炭鉱労働で虐げられ、貧富の差は天と地ほど激しく、戦地では若者や現地の人が毎日死んでいく。
一部の大人しか、事態の異常さを知らない。
でも、権力と暴力で抑圧され、大きな声を出す事はできない時代。
そんな時代を詳しく辿れば、どんなに恐ろしい過去が出てくるか、立ち直れないかも知れない。
そう思うと私も家族も、過去にほとんど触れる事はできませんでした。
きっと同じように、戦争を体験した人は語る事なく亡くなってしまい、その家族も私たちと同じように目や口を閉ざしてきた。
日本は、個々の人々があの戦争を検証する事が出来ずに、70年経ってしまったのだと思います。
そうする内に、いつの間にかネットでは、戦争犯罪が無かった様な発言が繰り返され、
首相がもう70年も経つんだ、子どもに戦争責任を負わせたくない、もう謝りたくないと言う様な発言をするようになってしまいました。
傷を負いたくないばかりに、繰り返さない努力をしてこなかったツケが、また同じ過ちに繋がろうとしている。
過去の罪が消えるなら、私の犠牲者への哀悼も贖罪の意識も消えるでしょう。
でもそれは同時に、犠牲者の存在を記憶から、歴史から消すという事です。
人がこの世に生まれ生きた事実を、自身を美化、正当化したいだけの他人に消される様な事があってはならない。
消されたくないのは相手も自分も同じこと。
それが理解できない世の中になってしまったと思います。
祖母の笑顔、散歩する姿、一緒に食卓でご飯を食べる姿、廊下を元気に歩いていた足音も、友人や兄妹周りが逝ってしまい小さく寂しそうに佇んでいた最晩年の姿だって、私の一部です。
祖母の人生、曽祖父やほかの家族の人生、関わった人たちの存在や、辛い過去も含めて、全てが我が家の歴史です。
私は、彼らの歩みの先にいま、ここに存在します。
この国に生まれて、過去を背負い、歴史に学び行動する事もまた、私と彼らの存在の証となる。
何もできないけど、あの頃とは違う。
今はまだ、間違ってる事をおかしいと言える。
同じ過ちを繰り返さない為に、自分なりに何がおかしいのか、何が起こっているのか、考え残していかなければと思っています。
「手口」って?
じゃあ、自民党の案がどんなものかを見る前に、そもそも、「ナチスの手口」ってどんなものなんでしょう。
良く纏められていると言われてる、過去の特集を見てみましょう。
「日本の憲法改正とナチスが利用したワイマール憲法」 1
これもゾッとしませんか? 私だけ?
暴動や革命のように法を破ったのではなく、憲法の条文の穴を利用して、最後には国の全てを意のままにする法律を作り、国民を黙らせ、支配した。
憲法という国の一番大事な決まりごとで、それを悪用するなんて。
大胆すぎて、こんなことする人間がいるなんて想像を絶する行為ですが、だからこそ、当時の市民も、ヒトラーの正体に気づけなかったのでしょう。
このナチスによる国家乗っ取りまでの経緯と、国民の感じた「まさか」が、麻生氏の言う「静かな内に」なのでしょうか。
確かに、自民党が憲法を変えたいと思っていたこと、実はもうその改正案まで作っていた事は、無関心だった私にとっては、「気づかれない内に」であり、
今の状況に当てはめて、もしあのような事が起こったとすると、「案を作って告知してたじゃないか、知ろうとしない方が悪いのだ」、と言われれば、まさにそう受け取れます。
いま、国会は自民党とそれを支援する党が、憲法改正の国民投票を発議できる議決数、3分の2以上を占めています。
勢いとしては、いつ発議されてもおかしくない状況なんだろうと思います。
問いの本質がよく分からないままに、自民党の改正案を「了承するか、しないか」、とだけ問われてたら、、
皆さんはどう対処しますか?
遠い異国の昔話でしょうか
モヤモヤの出どころを探すと、次々にモヤモヤが出てきて、どう整理したらいいのか、頭から煙が上がってきて、考えあぐねているうちに、時間ばかり過ぎてしまう。
とにかく、時間がないんだ。
書くべし書くべし!!
さて、かなり昔の話が続きますが、
2013年7月29日
麻生太郎氏の発言が国内外、多くの国で批難を浴びました。
「あの手口を学んだらどうかね?」
あの言葉にたくさんの人が怒り、大変な危機感を持つようになりました。
なぜそんなに目くじら立てて過敏な反応をするのか?
第二次大戦前後の欧州での惨劇の傷は、最果ての日本人には想像できないほど深く、ナチ党、ホロコースト、ヒトラーは今も研究されると共に、徹底した対策と罪の訴追が行われています。
96歳元ナチス親衛隊員に収監命令、禁錮4年「耐え得る」 独裁判所
http://www.afpbb.com/articles/-/3153532
ドイツや被害国は、70年経とうが、次の世代も引き続き風化させることなく、独裁、民族浄化を二度とくりかえさないため、安易にナチ党やヒトラーの思想を模倣する様なことが広まらない様に、法的に禁止されるなど徹底した対応をとっているのです。
遠く離れているとはいえ、一国の副総理、公的な立場にある人の安易な発言が、波紋を呼ぶのは当然のことです。
ましてや、日本はドイツの旧同盟国。
日独伊三国同盟を結んでいたのですから、日本のことをあまりよく知らない欧米諸国の人や被害国から見ると、あの侵略的な精神が、アジアの敗戦国でくすぶり続けているのでは、と疑念を持たれかねません。
さて、じゃあ、なんでこんな配慮のない乱暴な事を言ったのか?
この会見の内容は、憲法改正について「騒がず静かにやろう」と言いたかった様です。
(マスコミが騒ぐと、野党や国民や他の国が騒ぎ出して混乱する。大事なことは静かに検討されるべき。民主的なワイマール憲法も混乱の中、ナチスによって気づかれない内に書き換えられ、国が乗っ取られた。あんな事も有るくらいだから、騒がずやるべきだ。)
こんな感じでしょうか?
なぜ、「静かにやる」必要が??
でもまずは、「自民党が作った憲法の改正案」
なんて、聞いた事もない。。
ここでニュースも政治もまともに知らない私はびっくり!!
6年前に、自民党が具体的な改正案を作ってた様です。
この頃知ってた人、いらっしゃるんでしょうか。
2012年、、民主政権が崩壊し、自民党が与党に返り咲いた年です。
続く。。


