知識の理解が〈腑に落ちる〉まで時間がかかる。
「トラウマとか言ってる場合じゃない」
と言われても、腑に落ちる理解まで距離があれば
依然トラウマにやられるんだ。

大声で怒鳴られても、私がダメなら仕方がない。
いいじゃん、ダメで。
物事にはできる人とできない人がいる。
私ができることをすれば良いのだ。

ルックバックを観て、京都アニメーションの事件を否応無しに考えさせられた。
あの犯人は「俺のアイデアをパクりやがって。俺を馬鹿にしやがって」と凶行に及んだ。

このアイデアというものに、完全なオリジナルってあるのかと言ったら、純粋で完全なオリジナルは神の中にしかなく、
あとは見てきたものの寄せ集めでしかない。
知らないものは想像できない。
見てきたものの組み合わせ方が少数派なものをオリジナルって呼んでるに過ぎない。

こだわりたいのはわかるし、
こだわってはダメなのもわかる。

私が20年以上前からよく描いたモチーフを
しばらく使わないでいたら、
他の人が似たようなのを描いていた。
ああ、私も描いていたんだと思い出して
描いたら真似されたと思われた。

でも似たようなのを描く人を私は何人も見ている。
真似されたって思うのは仕方がないし、
何故あなたの真似をしなくちゃならないのよと言うのも大人げないから黙っていた。

みんな自分のオリジナルを持ちたいよね。

突出したい、突き抜けたいと思うのは
そうじゃないという前提があるから。
純粋で完全なオリジナルはアイデアじゃなく
その人自身ってことも
腑に落ちるのに時間がかかる。