『戦争に見る消費的疲労の生産的疲労への正当的変換について』 | 心よろず屋

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常態行動心理学者の瀬木と申します。
此処では心に纏わる様々な事をテーマに日々綴ります。
心に纏わる凡ての事にお答えを差し上げます。
貴方の心の宿り木は此処に有ります。

例えば戦時中敵国の兵士を殺戮する事は
国にとっては生産的行動でした。

されど殺戮をする兵士にとっては
それは消費的行動でしかありません。

目の前で敵国とは言え人が死んでいく様を見て
それを生産的行動と思える人は少なかったと
思います。

それが生産的行動ではなく消費的行動である限り日本兵に於ける疲労度が回復する事は迚困難。

されど疲労を回復せねば
明日からの戦いに勝てません。

戦いに勝てねば家族を守れません。

故に当時の日本兵はお国の為、
天皇陛下の為と言う大義名分を立てて
敵国兵士の命を奪っていたのです。

当時は相手を倒さなければ自分が
倒されるという時代でした。

事実目の前で多くの同士が凶弾に倒れていく中で生き抜く為に相手兵士を殺戮する事は自らの中で正当化せざるを得ない状況にありました。

何もこれは日本兵に限った事ではなく先勝国のAmericaやイギリス、Russiaも同じでした。

彼らは一時的にアドレナリン放出量を増やす事で感覚を麻痺させて自国の為、家族の為に敵国兵士の命を奪っていたのです。

されど時の経過と共に当時の光景がありありと
蘇り自らの自責の念に耐えかね精神を壊した
元兵士が後を絶たず自責の念が与える恐怖心が
作り出す幻影に怯えその幻影から逃れる為に
Drugや酒に溺れる者や、幻影から逃れる為に
新たな殺戮行為を繰り返す者も居たそうです。

ハワイに住む或る退役軍人は戦時中日本兵を
国の為、家族の為とは言え、殺めた事を
死ぬ迄悔い続け詫び続けながら亡くなったと
聞いた事があります。

集団的自衛権の行使はこの負の遺産を引き継ぐ
最大の愚行だと言わざるを得ません。

丸腰の人間に銃口を向ける者は少ないでしょう。

されど完全武装をしていたら相手は
自らの命を守る為に迷わず発砲するでしょう。

今の日本は世界に丸腰をアピールしています。
だからどの国も侵略してこない。

されどもしも完全武装をしていたら
間違いなく敵国は攻めて来るでしょう。

その時日米安保条約が守られる保証は
何処にも有りません。

その時一番矢面に立たされるのは自衛隊員です。

これまでは憲法によってその命が守られていた
自衛隊員が今度は憲法により命が危ぶまれる。

そうなれば全ての憲法解釈を変えねばならず。

9条の憲法解釈を変えるだけでは済まなくなる。
更に拍車を掛けるのが移民対策です。

もしも憲法改正し移民も受け入れたとしたら
自国内に敵国兵士を招き入れるのと同義です。

勿論それは他国も同じ条件ですが
その歴史は大きく違います。

歴史が違えば当然対処の仕方も違います。

そう言った諸々の事をもう一度安部政権には
熟慮願いたいと思います。

人一人の命は地球よりも重い。
その事を政治家には今一度再認識を
願いたいと思います。