『常態行動心理学的双極性存在論』 | 心よろず屋

心よろず屋

常態行動心理学者の瀬木と申します。
此処では心に纏わる様々な事をテーマに日々綴ります。
心に纏わる凡ての事にお答えを差し上げます。
貴方の心の宿り木は此処に有ります。

名前は厳ついですが中身はゆるゆるです。

例えば善と悪。光と闇。神と悪魔等真逆に存在
する物(双極的存在)の存在価値について多くの研究者は同等とする考えが哲学を始め凡る学派では主流だと思います。

善が有るから悪がある、光があるから闇がある、
神が居るから悪魔が居る、互い相対する存在が
あってこそ片方が存在する。
片方だけの存在はあり得ないとする考え方です。

然し私はこの考え方に異議を唱える異端者です。

善と悪、光と闇、神と悪魔、
この内左側に位置する物は独立的存在が
可能な存在です。

されど右側に位置する存在は付随的存在であり、
独立的存在ではありません。

つまり片方の存在を消そうとする存在ですから
消す対象が無ければ存在意義は有りません。

一方独立的存在はその物を消そうとする存在が
なくても独立して存在が可能な存在です。

つまり対象的存在でありつつ存在価値の比重が
違うと言い換えられるのです。

これは人にもそれを当てはめる事が出来ます。

我が元には己の存在を否定し存在を亡き者と
され己自身の存在価値を見失った方々が
多く来訪されます。

その方々に私は何時もこの
『常態行動心理学的双極性存在論』をお話しする。

貴方を排除しようとする方々は
貴方と言う存在を抜きにその存在意義を
語る事は出来ない。

されど貴方は彼ら彼女の存在意義の有無に
関わらず存在意義を語る事が出来る。

どちらの存在価値により多くの比重があるかは
言わずもがなです。誰かを何かを排除する事で
己の存在を誇示する物はそれらの存在なしでは
生きられない方々です。

翻り排除される側の存在は排除する存在が
なくてもその存在が叶います。

そう考えれば己の存在を其処に見出だす事が
出来ます。私はこれからもそういう風に
多くの存在意義を否定された方々の存在価値を
見いだしそれらを否定する者達の存在意義を
消失させたいと願います。