Normalisationという言葉が叫ばれて久しくなる。
平たく言えば差別をなくしましょうという意味と
日本語的解釈ではそうなります。
日本語的解釈ではと書いたのには理由がある。
Normalisationを差別をなくしましょうと訳しているのは
日本だけというか極少数派であると言う事である。
何故日本を含む少数派しかこの訳語を使っていないのか?
それには理由がある。
それはこの訳語自体が差別語だから。
先ずこの訳語自体差別肯定語である事に気づいていない。
更にこの訳語を言えるのは差別者に限定されると言う事。
実際差別を受けている側の言葉ではないという事である。
差別を受けている側からすれば
何上から目線で物言っとんねんとなる。
私自身もこのNormalizationという言葉は大ッ嫌いである。
区別と差別は違います、区別は横分け差別は楯分けです。
区別は順列はありませんが差別は順列があります。
所謂徒競走における順位は区別です。
学芸会における役割振分けも区別です。
然し虐めは明らかな差別です。
相手が反論できない点を突く事は差別です。
Normalizationは一見差別をなくしましょうとなるが、
その中身は思い切り差別意識のある言葉である。
もう少し言葉は正しく認識しましょうよ。