今日は、佐々木貞勝先生のお通夜に参列してきました。
闘病中だった貞勝先生、
7/9(土)の朝に、息をお引き取りになりました。
津軽三味線の全国大会がまだ弘前でしか開催されていなかった頃、
昭和後期の津軽三味線の三羽烏、
澤田流家元 澤田勝秋先生
五錦流家元 五錦竜二先生(マイ マスター)
藤田流家元 藤田淳一初代先生(故人)
(年齢順)
が、貞勝先生の民謡酒場みどりに集っていて、
東京で津軽三味線の大会をやらなきゃいけない!
という話になり、
貞勝先生が、
青森の弘前大会を立ち上げた山田千里先生(故人)と話をしたりしてくださって、
それで実現したのが、
(財)日本民謡協会主催の
津軽三味線コンクール全国大会
です。
(貞勝先生ご本人から伺ったお話です。)
今年の第19回大会は、タイトルホルダーとゲストということで、出演させていただきましたが、
入院中だった貞勝先生は、
最後4人の決勝戦は、審査する!
と、入院先から一時外出をしていらしたので
そのとき、ご挨拶させていただいたのですが、
喜んでたよ~、
最期の方、
みさおちゃんのこと気にしてたよ~、
と、ご親族の方からのお言葉に、
更なる感謝と感激の思いでいっぱいです。
面倒見の良い先生で、
私だけじゃなく、
たくさんの民謡の方々が
貞勝先生にお世話になりました。
お通夜のお焼香の列は長蛇の列でした。
私が2013年に大会で優勝した時、
貞勝先生もホントに喜んで下さって、
一緒に写真を撮ろう!
と先生の方から仰ってくださった貴重な一枚です。
私のスマホの中に、
二代目白川軍八朗先生の45周年リサイタルの音源が入っていて、
正調生保内節を貞勝先生が唄、
三味線が初代藤田淳一先生が弾いていらして、
軍八朗先生もお三方、
みなさん、あっちで合流したのかなぁ。
遺されたものたちは寂しくなっちゃいますけど。。。
でも、
先生お疲れさまでした。
ありがとうございました。
私も、あなたも、みんな、
いつかは死ぬんですよね。
浅草 「民謡酒場みどり」のHPはこちらです。
↓
http://www.geocities.jp/asakusa_midori/