今日は六月の月次祭 
初めて秋田の生じゅんさいお供えしました。
 



地域の田植えもほぼ終わり、明日は土生水利の田植奉告祭です。
 




泉佐野の歴史と今を知る会の今月の会報に『松浦肥前守光の死』が出ていますが、松浦氏は戦国時代に和泉国のほとんどを支配統治した氏族で戦国大名と言ってもよい存在でありながらほとんど知られていませんね。 

私達が松浦肥前守光を意識するのは、光が天正年間に岸和田池を造作して岸和田城の池の水を確保すると共に平時は岸和田村の農業用水に利用することを認めたという歴史的事実によります。
 それまで岸和田村には水源がなくて土生水利に支配されていましたが、岸和田池の水を利用することによって岸和田村は土生水利から独立したと考えられています。 
今でも津田川から岸和田池に一度入れられた水は一旦津田川に戻して岸和田井堰からもう一度上げて旧岸和田村の水田を潤しているようです。 
現在も土生水利の水を使っている上町の水田もあるようですが、岸和田池によって岸和田城の軍事的な姿が整っただけでなく、岸和田村が独立し、今日の岸和田につながる近世の岸和田がここから始まったわけですね。 
それがなければ岸和田市は土生市になってた?それはないか。