プロフィール・登場人物詳細💝


ツインレイ検証ブログといいながら、

ツインレイとは内容が離れてきている気がする

(笑)けれど

これは紛れもなくツインレイ検証ブログだ。☺️🫶


ベネという存在に出会い

どうしてこんなことになったのか?

自分は一体どうなりたいのか?

もの凄く考えるようになった。


好きになるのに理由はなく本能的なものだけど、

ツインレイという概念に準えると

相手のことをどーのこーのというよりも

『ご自分の人生を歩みましょうね!。』✨


という働きがどこからともなくやってきて、

必然的に自己対話をせざるを得なくなる。。

それを突きつけられる。


人生順風満帆にいかせる為には何が必要か?

自分の幸せとは何か?自分が陥ってる思い癖、足を引っ張っている心の癖、パターンはどんなものか?

人生の大きな越えるべき課題は何か?

それを知る必要がある。


インナーチャイルドを癒すとはよく言われること。

私が私を愛していけるプロセスとして

ざっくり過去を振り返る。


※他者と比較はできないけれど多分ネガティヴな内容です😅それでも端折ってマイルドにしてます。

不幸自慢ではありません。そんなことをしても何の意味もありません。悲劇のヒロインになってもいいけどずっとそこにいては進歩なしです。


過去を振り返る上で重要なのは、、、


この長年積み重なった"陰"のエネルギーの刷り込みを如何に"陽"へと好転させていくか。です。


それは自己受容であり

自身の人生における課題となります。

ゲームの主人公に不幸はつきもの(笑)

エクスカリバーを手に入れて人生というゲームをクリアするために


    

 

捉え方(考え方)・ものの見方を考察し"立て直し"すること


1秒前からは過去。そことの付き合い方は重要。

心地よい感情に立て直し、今この瞬間を力を抜いて心地よく過ごせることで前向きな未来が初めて、

『こっちだよ!』と話しかけてきてくれるような感じがします。😃😊🌸✨


​マイナスからスタートした人生、そんな自分だからこそ願望実現が出来た時、付加価値がつき誰かの支えになれると知ることの大切さ。決してネガティヴなまま終わらせない。

↑この気持ちになれたことは有難い気づきでした✨😌🫶🌸人間の心は脆く弱いものでもありますが、とてもしなやかで強いです。

 



ロロ0歳で両親離婚。

母から父の悪口を聞き続け父親不信になる。

基本祖父母に育てられる。

物心ついた時から大切な人を失う恐怖や欠乏感と

戦っていた。内向的でなかなか人に心を開けず、

幼稚園はいじめもあり登園拒否。

小学校低学年で身内から性的暴行を受けるも口止めをされ心の傷を抱えていくこととなる。

幼少期から学生の間は痴漢・性的暴行被害も何故なんだというくらい多数あり←今思えば男性に対する恐れの念がそれらを引き寄せていたのかもしれません。

それを親には『どうせ学校やそろばんを休む嘘をついているのよ』と信じてもらえず見下され蔑まれその傷の方が深く残り、

それと共に男性恐怖症・男性不信・親不信・人間不信に。信頼出来る環境などありませんでした。


小学校も登校拒否。学校から心理カウンセラーがつけられる。初めて私の心に寄り添おうとしてくれた人であったが母が気に食わなかったようでカウンセラーさんは私のケアより外れる。

度重なる親の嘘と姑息さや友人らの裏切りに心を病む。『死ねばいい』や、『だから産むなって言ったでしょ』『こいつにはどーせできひんて。』『さわらないで!?』『うわ、きっしょ』等々...

母や祖母や兄、裏表ある腹黒い同級生らの言葉達が呪いのように幾重にも刺さり続けました。


それでもそんな人達に(特に母には)愛されたくてずっとずっと愛されたくて欲しい愛が得られずもがいていました。母に認められたい。母の自慢の子になりたい。母にいつか素敵な家を買ってあげたい。傷つけられ傷つけられてもそんなことまで考えていました。子供ってそんなものですね、親をいつも求めてしまうものです。いずれ自分の求めた愛の形はこの人からは貰えないのだと確信し絶望しますが、

それも魂の成長のひとつの段階でした。

私の求めた愛とは違う型の愛をくれていたことにも気づく日がゆくゆく来ます。少しずつ鎧のような重く硬い憑き物がボロボロと崩れはがれ落ちていくような感じでした。


私はいぢられキャラではなかったけれど

いぢってきて人をこけおろすことで笑うことしかできない義父に対しては思春期の私の心は酷く傷つき理解もできず、荒々しく怒鳴りつけられ詰められる時もいつも足音すら怖かったです。

いま思えば若く偏屈な不器用なかわいい人だったのかなという気もします。。

母も義父も子供達が出ていき自分たちの好きにお金を使えるようになってからは歳も重ねたし、物質面でもいくらか満たされたのか、人間の性質や考え方は変わらぬものの、ほんとに丸くなりました。

私も彼らに対する接し方も今ではよくわかります。


ですが当時は

そんな義父に自分を合わせて合わせて、

でも合わなくて、いぢられキャラを演じている自分が嫌いでした。←いまはどっちでもよい心境になれましたが当時はプライドも高く融通のきかない子供でした。

母や兄や義父や祖父母やとにかく人の顔色をうかがい合わせながらも合わしきることは結局できず抗いひきづられ翻弄されまくった他人軸人生だったと思います。愛されたい枯渇感から自己犠牲や我慢も沢山繰り返してきたとおもいます。


自分のエゴがキツくキツくあるのに、

自分がほんとは何をしたいのか?

どう生きたいのかは全然わからなくなっていきました。

正確にいうと、何をして生きたいかはわかっていたかもしれませんが出来ない理由を探す天才で諦め上手でした。どうせ理解されないとかどうせ出来ないとかどうせ賛成してもらえない揉めて終わるだけ骨折れ損で傷ついて疲れるだけで

孤独感がますだけだと思っていました。。


小学生の担任の先生に『なんであんただけこんな辛い思いせなあかんのやろな』と泣かれたことがありました、先生は立場的に最終的に母の肩を持たざるを得なくなっていてそれも人間不信に拍車をかけちゃいました。大人も子供も汚ない奴ばかり。そんな思いだったな。人のエゴ、未熟な部分や汚さを沢山見せてもらって育ちました。


母方のおじさん夫婦にも『参考に聞きたいんだけど、どうしたらうちの子たちはロロちゃんみたいにならないですむと思う?』と聞かれたことがあります。

『我が子の為にその質問を、私の前でしている時点で私みたいにはならないから安心してください。』と言ったのを覚えている。←心底確信して言ったのではなく、上っ面でいいました。安心して早く帰ってもらいほっておいて貰いたかったからです。


そんなことを登校拒否をし家族の、親の、愛に飢え苦しんでいる小学生の私の気持ちも考えず聞く彼らは、大人として最低だと感じながらも(そんな他者の気持ちの配慮に欠けるエゴの強い人だからなんかしら子供は察知していずれ親子感にガタ付きが起き魂を磨く事柄が起きるのはその瞬間からどこかで感じていました。)、

おじさん夫婦の子供達が愛されていることにジェラシーが湧いたり、

なのに残念な部分もあるご両親だけれど君らに関心があり夢中だよ良かったねとどこかに安堵があったり、でもやっぱり恨めしくてとにかく悲しかったり。

←※結局そんな叔父夫婦も、時が経ってからカルマを摘み取るかのごとく、子供たちが人生の壁にぶつかり葛藤し停滞することで振り回され頭を抱える未来がやってきていました。その頃成長した私は俯瞰してみておりましたね。なるほどこういうことかと。


叔父や叔母の言葉に傷ついた私は

数人いるいとこ(当時赤ちゃん)が夜、親から離れて寝ている部屋へ行き、憎しみや妬み嫉みから首を絞めてやろうと思って手を寝ている赤ちゃんにむけたことがありました。が、その瞬間赤ちゃんが泣き出し、ハッと我に返りその場を去ったことがあります。

自分がそんな愚かな悲しいことをしようとしていたことに酷く傷つき泣き崩れました。

赤ちゃんに申し訳なく悲しくて苦しくてどうしようもなく寂しく孤独な小学生でした。

赤ちゃんに手をふれる前に何かを察知したのか

泣きだしてくれて

いとこに神様にありがとうと心底思いました。


私は絶対人を物理的にも心理的にも殺めない。

そう深く誓った日でもありました。


なんせ大人たちから残酷な子供たちからも

散々なお言葉をいただいてきました😅

今となっては宝ともいえるのでしょうか。。

なにせ、周りに人や家族がいたとしてもいつも心は孤独で電池切れで枯渇していたなあ。

類は友を呼ぶという言葉も、当時の私には信じられるわけもありませんでした。



実父には年賀状だけは送っていましたが、

ある日父方の祖母より

『お父さんは若い女性と再婚をし子供にも恵まれました。その若い奥さんが嫉妬をするので、もうこちらに連絡をしないでください、あなたは本当に可哀想な子です。不憫でなりません。』と手紙が届く。

そこから実父との縁が完全に途絶えました。


※ここでも、ああ、やっぱり私は可哀想な不憫な子供なのだと自分に呪いがかかってしまいました。

言霊ってあると思います。

言葉は人を護る盾にも、人を殺める武器にもなります。自分は言葉を誰の為にどう使うかを意識して決めて使う事ができます。これは大切なことです。


実父については、母による洗脳があり怖く悪い人と思っていましたが、母の未熟さを知るうちに、父は確かに悪い部分も沢山あったろうが母がいうだけの酷い人でもなく優しく良い部分もどちらもある人間くさい人だったのではないかなと思うようになりました。それからは怖いとか憎いとかもう一度会ってみたい願望もなくなり、淡々と実父の幸せを祈ることができるようになりました。


ロロ小学3・4年生ごろ

母が10歳年下の若い男性を連れてきて再婚。

『父親にはなれないから』と言われる。

祖父母と離れ、引越し。

母と義父と暮らすようになる。

父親にはならず自分がしたいことをしていたい義父と亭主関白を楽しんでいる女性である母みたいな感じだったかな。義父というより、母の彼氏が一緒に住み出したみたいな。これも色々難しさが沢山あったな。同じクラスの男の子の家庭もお母さんが再婚をし新しいお父さんだったけれどそこのお父さんはほんとに男の子にとっての父になりたいなという意志がみえて運動会でめっちゃその子を応援したり恥ずかしそうにしてるその子を肩車をしてあげたり

羨ましかったのを覚えています。

うちの義父は小学校が家から歩いて2分なのに

運動会も来ず家でゲームして寝てました...

とはいえ義父が嫌いなプールに仕方なしにきてくれたことが一度あったかな。あれは母の為だったとはおもうけれど。今思うと、

包み込んでくれるお父さんやお母さんに憧れがいつもあったのかもしれません。

当時のわたしを抱きしめています😊



中学生時代はいじめられっ子を庇う事で自分もいじめにあいました。人間の裏表や愚かさやつまらなさを身に染みて感じる。

毎夜親の激しい夫婦喧嘩や母の泣き声に耳を塞ぎ布団を被り泣いていました。

価値観の違いからお互いの正しさを押し付けあいで

毎日が親との戦争でした。

親の命を奪うか自分の命を終わらせるか。毎日そんなことしか考えていなかった。リストカットもしてみたが結局どちらも出来ない自分に絶望していました。


(高校生の頃)当て付けに自分がいなくなっても、私達が悪かったからだ…なんてあの人たち思わないなと気づいてからは馬鹿バカしくなりそういうことは

考えなくなったかな。

その頃にはそろそろ見えない世界の存在やスピリチュアリズムの世界にも確信を感じ出したり、触れ出していたので、波長の存在や因果の存在を感じたところから、

『私が欲しい愛は得られなかったが、私が周りに私が欲しかった愛や誰かが求めている愛を与えることで、自分に、ここに、周囲に愛を増やしていこう』そんな実験を騙されたと思ってしてみていたり、

類は友を呼ぶもいくらか納得しだしていた頃で、

余計に自殺願望は私から遠のいていきました。

←ギブや先出しの精神は愛や高い波長を呼ぶのは確かですが、枯渇したとこからそれを満たしたい動機で、なけなしの愛を周囲に与え続けることでは、ガス欠をすぐ起こしますし、本当の意味で満たされることにはならないこともゆくゆく気づきとしてもたらされました。😅👍🫗💔

まずは自分を満たしてやるのが先なんですね。。

当時は自分の愛の器の満たし方も知りませんでしたし、枯渇しているくせに与えていたら徐々に満たされていくと考えていたかもしれません。

けれどなんやかんやで満ちても一瞬ですぐ電池切れになり自分をすり減らしていたように思います。

本当の意味で自分を愛することの大切さ・孤高の大切さに気づき出したのはベネに出逢ってからようやくであったと思います。😂


今は情報が溢れていて見極めは難しいやもしれませんが羨ましいことです。

ですが経験から学ぶことがいちばん血肉に落とし込める悟りとなりますね。

手探り手探りで真理に辿り着くのに時間がめちゃんこかかりました。死ぬまで勉強。心の成長は魂の成長は死ぬまで続きます。そして死んだ後も。。

まだまだ道半ばであります。。😂🌸✨


ずっと温かい家族というものに憧れがあり

無償の愛を映画の中にみつけることができたことが数回あり『こんな作品が作られたということは、

きっとこんな家族が存在するんだな、愛し愛され想いあえる関係がきっとどこかにあるんだ。見てみたいな。みつけてみたいな。そんな家族を育んでみたいな。』

それが生きる上での心の支えでした。


高校受験。当時行きたかったデザインの高等専門学校があり、そこに通う事がその時の生きる希望のひとつであった。

親と激しい揉め合いになるも念願叶ってその学校へ通えることになるが、経営難となっていたのか学校が突然の閉校。親も激高。

自分がいちばん行きたくないと決めていた学校へ行くこととなる。そこからは抜け殻。

無感情で表情もない人間となる。

その学校でダダと出会う。

周りを気にせず笑顔を出したり、話したり、歌ってもいいんだということを彼から学び驚く。

『いいんだ。。。』

自分の自由をどこか許してもらえたことで、自分を許すこともできるようになったと思う。

少し生きやすくなった。

ダダにとてつもなく大きな『恩』が私の中で良くも悪くもこの時に出来てしまいました。

『この人が障害を持とうが何があろうが彼が私を必要とするならば側で支える唯一無二の理解者であろう』と変に硬く自分と約束をしてしまいました。

※これが私が自由になる為の足枷になるとはこの時は知る由もありません。

そもそも彼が私を必要とするならばというのも今となっては違うなあと感じます。

私も彼もお互いにお互いを必要としているならば

それならば一緒にいるといいのだと思います。

自分だけよくてもいけなくて、相手だけよくてもいけない。恋愛も結婚もひとりではできないのだから、依存はよくなくて自立した関係が望ましいとしても人間未熟者しかいないので納得して助け合うことがいかにできるか、納得した上で見ている方向が同じでないと、お互いに尊重しあい2人で決めた答えに納得できていないと、

パートナーとの信頼関係を維持する関係性は成り立たってゆかないのだと思います。

完璧な人などいません。凸凹でよくて、足りない部分の補い合いがどこまで納得して2人でし合えるかだとわたしは思います。



17歳でダダの子を妊娠中絶。

罪の意識と産みたかった産んであげたかった気持ちなど様々な思いが極まりぐちゃぐちゃになる。

名前も決めてしまっていた。心の中でその子に話しかけ、その子と自分を癒し育てていくことになる。

その際のダダの対応の不器用さと自己保身の姿勢も引っかかっていました。

精神的に追い詰められ高校を中退。

ダダの女遊びが何度かあり私の友達にも手を出し、

ダダに不信感を抱きはじめていました。

心療内科に通い安定剤の薬を服用せずに溜めていました。いつか一気に服用して

この世とバイバイできるかもって保険みたいにしていました😔😓←※使う機会がなくて良かったです。

いつだったかガサッと全部破棄できた時があり、今の私から見ても頑張っていたなと思います。

今の私が過去の私にこっちだよ!!大丈夫だよ!!私はそばにいるよ!!と声をかけてあげているのを、過去の私もちゃんと聞いていたのかもしれませんね。😊

ダダは私を必要とはしていないのかな?私も違う人を見てみるといいのかな??お先真っ暗、

そんな時、生きなさいよというきっかけだったのか、?😅←そういえば、いつも死を止めさせるようなストッパーが現れます。人だったり動物だったり。神様の計らいかな(笑)

バイト先で知り合った年上のバーテンさんに恋をしたかもしれず、自分の気持ちを確かめるべく17歳の時、一度ダダとお別れをします。

※その間もダダを生涯支えると自分に約束したことを守れていない自分に散々モヤモヤしています🤣

なんやかんやあり、バーテンさんとの恋はすれ違いが多く結果実らず、

未練を持ち待ってくれていたらしいダダとよりを戻すことになります。

周りからは腐れ縁だとか色々言われていました🤣ほんまもう辞めときってとか、ロロの短所はあの彼氏(旦那)を持ってるとこやとか、長過ぎた春とかね。もーそれは周りから沢山言われました。(笑)


※悪い部分ばかりピックアップされますが彼のひょうきんさや良くも悪くも純粋な部分やユーモアがある部分、美術的なセンス、規則正しい部分リスペクトしています。

内縁の妻の頃も夫婦になったあとも、共依存というのもあるし、写し鏡や反面教師というのもあるし、どちらかだけが悪かったことはなかったと思います。

色々ありましたが今は何事も、

上手くいかないのは自分のせい

上手くいったのは人様のおかげ(勿論自分のおかげでもありますが。)』と考えてる自分がいます。

実るほどこうべを垂れる稲穂かな🌾でありたいです(笑)いつも自分を嫌いだと思う時間を極力減らして、自分を好きだなと思える選択・時間を増やして長くしていきたいです。😊


そして18歳でダダの協力もあり実家を出ます。

ラジオ一個持って女一人暮らしをはじめます。

世間も知らない女の一人暮らし、恐い経験もしました。カーテンもなんにもないアパートの空間でしばらく住んでいました。

バイト先のオーナーさんに、女の子は苦労するべきでないと言われた事がありました。苦労したくてしてるんじゃない。私だって愛されてぬくぬくと育ち自信に満ちて生きて来たかった。その時はそう思っていました。

実家に帰ると心が辛くなり1週間は必ず泣いて体調を崩し寝込んでいました。←親を受容し許し始めてからは徐々にですが親で寝込むことは無くなっていきました。

※自分も親になった今では親の気持ちもいくらかわかるようになり、時間と共に親も丸くなり、欲しい愛は得られなかったかもしれないが、愛がなかったわけではないと理解できましたし、今は親に感謝をできるようになりました。とはいえ感覚は違う人たちですから、付かず離れずの距離感を大切にすることで仲良く出来ています😊

自分にない部分で優れている部分は素直にリスペクトし、そうでない部分は反面教師にさせてもらっています。時間はかかりましたが親のことで死ななくて本当に良かったと思います。(笑)


20代。バイトをしながら資格を取得したりしながら、ダダが漫画家を目指していたのでそのお手伝いをしながら一緒に夢を追っていましたが、これまた作品への向き合い方の違いからうまくいきませんでした。←彼はネガティヴに向き合っていきたい。私はポジティブに向き合っていきたい。(笑)←この捉え方の違いがゆくゆく2人の溝を深める決定的なものになってると感じます。波長がズレ出してるというのかな。


30代。ダダがよそで子供を作ってしまったのを私の神様が教えてくれました。その子は彼女に産んでもらい、養育費を私と払っていくと訳分からんことをダダは当時言っていました。彼女と暮らしてみたらどうか?と提案もしましたが2人は拒否。

そして彼女は赤ちゃんを流産してしまいました。

子供には何にも罪がない…。

それからはその子にも祈るようになりました。

お相手の彼女にも寂しさがあり痛みがありました。優しさもエゴもありました。

人間みんなそうですね。

許すことは強い者でないとできない、とてもぢゃないが容易には中々できないし、人間性を試されることも学びました。


2人はすんなりとは別れられなかったが時期終わりが来たらしい。そこでダダに、もう観念して今までの私との時間の責任をとるという意味で私と籍入れなさい。と言っていました。←これは自分でも謎です🤣友人からも普通別れるやろと言われます。

繰り返しますが私も謎です🤣

30代半ばになり入籍。

雨の中笑顔もない最悪な入籍でした。

彼女の気持ちも考えたら胸が時々痛みますが

全て必然でそれぞれに必要な学びなのだと受け入れ今も祈っています。


その後、友を病で亡くしました。そこで命や生きるって何かや、社会の常識のおかしさや、人間の愚かさや強さもまた垣間見させていただきました。

そんなこんなで愚者は経験に学び、

気づけば30代の後半になり、

怖かったけれどどうしても子供に恵まれてみたいという思いに至り妊娠は難しいと言われていた中、諦めはしないがどちらでも構わないと思えた頃に、

奇跡的にピーノを自然妊娠で授かる。

妊娠と同時に勤めていた介護のお仕事を辞めました。リスク沢山ある妊婦でしたが無事に出産。

ダダと結婚決意したのは間違いだったかもしれないが、これだけは良かった🤣

※自分は子供を産む資格などないとか、こんな人間が親になれるはずがないとかあれこれ出来ない理由をあげていましたが、地球は行動の星🌏✨ですね、決めて動くと変化がやってきます。


喜びも悲しみもあり山あり谷ありで毎日が学びの連続です。ぽんこつながら日々成長できる自分がなんだかんだで今は大好きです。

あんなに大嫌いだったのに。

今も自分を疑ってみたり弱気になり嫌いだなと思う日も普通時々ありますが以前に比べたら大進歩。

自分の魂の成長や人生が尊いです。


しかし、ピーノを妊娠したあたりからダダが仕事環境の悪さから私にモラハラをするようになりました。※彼にも彼の学びと人生があります。私には私の学びと人生があります。今は私の思考が生み出した現実と向き合い色んな実験をしています。


出産後退院したら世界は180度変わったコロナ一色な世界になっていて、そんな中モラハラを受けながら手探りの孤独なワンオペ育児がはじまりました。

コロナが1番猛威を奮っていた時に、

高を括っていたダダがコロナになり、

そこからピーノも高熱出したり私も救急車で2度運ばれ死にかける。多分一度しんだのかもしれない。

思い込みやマインドを意図してコントロールする大切さを改めて感じました。


それにより自律神経がおかしくなりパニック発作みたいなものも続いたが、時間はかかったが(3年くらい)体調がようやく安定しはじめ戻ってくるも、

ピーノも中々癖が強く発達はいつもグレーで、小児精神科に行くように医師から言われたり初めての母業も色々ひとりでかかえこむ環境があり精魂尽き果てへとへとでノイローゼぎみに。😓😅


自分は自分の前向きであろうとする気持ちを大切にしたい、こんなことで負けたく無い、楽しみたい、あと、日本や社会への色んな危機感なども抱えながら、何か…今をより良く捉えていきたくて、

ダダの反対を押し切って、ピーノと地域のコミュニティサークルの扉をたたきます。


そしてベネに出会いました。。。😧


楽しくない話を長々失礼致しました。🙏🌸

自分で自分の足を引っ張ってみたり不運をなげいてみたり失敗だらけの人生。朝起きたら漠然とした不安の重圧に苦しむ毎日。けれどこれ全部学びだったなと、自分の思い癖から産まれた苦しい現実も、キラキラした鉱脈に変えることが出来る。生命の輝きに繋げていけるんだと気づきました。

ずっと早く気づいてとお知らせがきていたのに見ようとしなかった私がいてました。

魂が成長するチャンスはどん底から始まります。


自分の人生をどう捉える?

泥の中には沢山の栄養が詰まっています。

立派に根を張り蓮の花のように美しく咲く道を

私は選ぼう。決めることは怖い。

それでもここを超えた自分がみてみたいな。


『どんな時にもそれをどう捉えるかを選ぶことができる』


これこそ

人間に与えられた自由です。♾️


そこには沢山の気づきがありました。

今起きている現象にどうか呑まれないで。

それは過去の私が作り出していたんだと気づいて。

その事象を今どう捉え行動するか選択でき、

より心地よい選択をすれば、

タイムラグはあるけれど

より良い自分に変わる事象が起きてくる。


思い込みの鎖を一緒に外してみよう。

知らず知らずのうちに人からかけられた呪い、

自分でかけてきた呪いに気づき、解いてみよう。


そうすれば世界は愛に溢れていたって

思えるときがきっとくる。

見えるところにも

見えない世界にも

あなたに寄り添ってくれる存在が必ず居るんです。

信じてみてください。

頼ってみてください。

気づいてあげてください。

ひとりで頑張らないでね。

自分を許してあげてね。

適当で大丈夫。

それぞれの命に必ず産まれてきた意味があります。


今日をなんとか生き抜くことしかできず

いつも生きることに必死で落ち込んでは立て直すを繰り返してきましたし、これからもきっとそう。


だけど大きく変わってきたのは、こんな私でも存在していていいんだと思えるようになりました。

誰かの痛みに寄り添うことで、関わってくれた方の心や人生も私の心や人生も相乗効果で好転していける。そんなヴィジョンを描いています。


必要でない人などいないしあなたが生きていてくれたから私は私を癒すことができたし、出会えたことで学びや気づきも頂けていて有り難く、共に成長している仲間なんだとお伝えしたいし、この気持ちを育み愛の連鎖を起こしたい!と思えるまでになれてきました。小さな積み重ねが志になる。

人が、自分が教えてくれている。

モヤモヤやネガティヴは自分の伸びしろや可能性を教えてくれているんだと思います。

自分がどうありたいのか?

本当はどう生きたいのか?

ここにこうしてずっといてたいの?って

そこに気づければ次第に

愛の本質が現れてくるくる♡😊🌸✨🫶

 


ポチニコニコ🌟嬉

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