普通の映画記録『ラストマイル』 | いっせいの高校生的映画記録

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映画ノートを父親に続けろと言われたので、デジタルで続けます。

『ラストマイル』塚原あゆ子監督のサスペンス映画。

 

ある程度あらすじを知っているものとして話します。

 

 

考察とかは色んな人がやっていたので僕は高校生としての意見を述べたいです。進路に迷っているのもあって結構病んだ文章ですが、読んでくださると嬉しいです。

 

  • 厳しい現実

 what do you want ?というセリフが機械音声で何度も流れた。  欲望によって駆動し目先のタスクをこなしながら、与えられた趣味嗜好に人生を費やし死ぬ。生まれた時からベルトコンベアに乗せられて、僕ら高校生は夢を与えられてその幻を追いながら、結局何の関係もない仕事をする、社会に出荷される。社会の現実を見ることによって絶望し反乱など厄介ごとを起こさないようにするためだ。どんな枠から外れたことをしても社会と少し繋がるだけでもう消費社会の一部。逃げられない。

 稲作で常に周りのことを気にかけてきた日本人にとってここ数十年の突然の個人主義的な海外志向はついていけない人が生まれる危険性がある。労働時間や環境を真に改善したいなら、革命しかないと。塾の塾長が授業の空き時間に言っていた。そして、思った。親の庇護下にある自分がどれだけ幸せなのか。

 

社会をオート化してる時点で真の意味で自由主義ではない。構造の奴隷。それも一興だと笑える豪胆さがあればいいなと思う。

  • 機械社会と有機生命体

 そうして社会に精神を削られ消費された人は山﨑は自殺(植物状態)し恋人は平和の破壊という行動を持って労働問題を訴えた。意味づけをした。爆弾の引き金のリングが左手の薬指にあったのも何とも言えない。山﨑が飛び降りてベルトコンベアを止めようとしたが、死を持っても物流は止まらない。商品は誰かの命を救うものだったり誰かの欲望を満たすものだから。命と欲望の交換。命と命。欲望と欲望の交換でこの世界は成り立ってるのかなって思った。

 

 

 思考も標語によって統一自動化され、動きも最適解があるため自動化される。最近自動車事故の話などを聞いていて、有機体であるヒトが無機物ばかりで構成された物理的にもプログラム的にも柔軟でない機械文明で生きることはかなり難しいことなんじゃと思った。sfのブログでも書いたが急速に進化する科学技術と少しずつ地道に進化するヒトここの間に問題がある気がする。ラップトップを抱えた石器人。

 

  • 何をすれば正しいのか

 結局子供が鎖で繋がれて炭鉱で死ぬまで働かされていた時代と何も変わらないなって、根本は。でも必死に働くドライバーの人たちを見ていると本当の意味で職に貴賎はないんだろうなって思った。結局は本人の意向と時運の問題であって、どんなに社会的地位が高かろうと換えの効かない人間なんていないんだなって思った。だからこそ声を上げることの重要性みたいなものを感じた。万国の労働者よ団結せよって感じ。でも革命なんてできっこないから、死なないために心のどこかに少しは抵抗の意思を持つ必要があるなと。広告に踊らされて消費ばかりになっていても、生きる以上それは仕方ない。だからそれをメタ認知して心に反骨心を持つことが大切だなって。奴隷にならないために。

 

 Amazonみたいな大きな会社は社会の物流の要で、大動脈でそこが止まっただけで末端から壊死していくんだね。病院とかに商品が回らなくなってた。人々は血液成分であり、道路や人のつながりは血管。物流は体中に酸素や栄養素を届ける。人は駒でしかない。使い潰される。残酷なシステム。でもこのシステムは最適解で変えられようない。だからこそ利を追う中で末端の配達員の方々や届けてもらう僕らだけでも血流の一部である以上温かみを持つ必要があるなって思った。うまく言えたつもりだけど、バイトしたこともないガキの意見としてはこんな感じです。

 

 

Daily Faust について。fastではなくファウスト、ちょうど図書室で借りようと思っていたところだった。まあファウストを題材にした映画『悪魔の美しさ』は前に見たので話の大枠はわかる。あとで再編集します。