クローバークローバークローバー

私の転機にもなった一年を振り返り、病気の経過や私の精神状態がどんな変化をしてきたのか等書き留めておきたいと思います。


これは自分の一年の総括として書きますので今まで公開してなかった肉腫の画像や見苦しい私の太い脚の画像もあります。

そんなもの目にしたくないという方は、ここで終了してください。

それでも、病気等の経過を参考になさりたい方は、先にお進みください。

3️⃣

2️⃣

1️⃣

1月初旬 😓😨

🔵大学病院に転院
🔵術前検査 胸部CT PET-MRI検査

1月中旬 😨

🔵手術前の診察 
 病理検査、PET-MRI検査結果説明
 手術方法検討のため、手術部位を担当医がマーキングして写真撮影

自宅に戻り、自分でも左大腿から臀部のマーキング部位を撮影した。
横向きになって腰骨から左大腿部のあたりを撮影しています。

楕円で囲っている所は、一回目の手術で切除した部位
左側上部はお尻側です。
上側はつま先側、下側が頭側です。

😨この時、高悪性も混在していると説明を受けました。
だけど12月末に初めて告知された時よりは、わりと落ち着いていた?!

落ち着いていたというより、現実感が持てなかったと表現した方が適切かもしれない。

1月下旬

🔵大学病院で左大腿部広範切除
手術の前日に入院
主治医から手術方法に関する詳細の説明を聞くまでは、妙に落ち着いていた。
手術は3回目だから…🙂
(肉腫以外の病気で一度手術経験あり)

でも…
先生から詳細に手術方法の説明を受け、自分の肉腫の大きさは、15cmだと聞いた瞬間
自分の置かれている状況の深刻さが
急に現実味を帯び😱😲😭
落ち込んだ😭😱
涙💧涙💧

🔵手術直後
夫と姉夫婦が主治医から手術経過等の説明を受けた。
その時撮影した画像です。
私は直接見ていません。

この画像を見て、やっぱり自分は肉腫なんだと実感しました。
こんなものが自分の体の一部だったなんて…絶句

一回目の手術で鶏卵大の肉腫(脂肪も含めた大きさ)を切除してなお、その下にこんなに大きな肉腫が広がっていたなんて…
驚きでした。



🔵手術後
しばらく思うように歩けませんでした。
脚はどこまで良くなるのだろうかなど、不安はありました。

一方で今回の手術では、筋肉を切除してないから、そのうち良くなるだろうと楽観する自分もいました。

退院後は、切除した部位に浸出液がたまり続けることが一番の気がかりだった。

🔵2月下旬
 切除した肉腫の病理検査結果がでた。
 残念なことに、腹部側の断端が陽性(切除した端っこにがん細胞が残っている)だった。

 これは、凄くショックでした。
 私の肉腫は播種性だと言われていたので、今後、腹部側に播種転移したらと想像すると怖くなりました。

 この時、先生からセカンドオピニオンをするかどうか確認されましたが、私はあえてセカンドオピニオン希望しませんでした。

大学病院の放射線治療方針に沿って放射線治療をお願いする事にしました。

希少がんで症例数も極めて少ないので、放射線治療効果に関する明らかなエビデンスはない状況であると説明を受けました。

放射線治療をやらないで再発した時に、それを自分は受け入れられるだろうかと考え、やはりやるだけの事はやって、それでも駄目なら仕方ないと思い、放射線治療を受けることにしました。

この判断が良かったかどうかは、わかりません。
ただ、希少がんである以上、仮に効果がなくても、その結果の積み重ねが将来の希少がん治療を確立していくためには、必要とされる事なんだろうと考え、この選択をしました。

3月下旬から〜4月中旬

放射線治療の経時変化
🔵治療開始前
 マーキング

左大腿部前面

治療開始
左大腿前面

5月
治療終了後、皮膚の赤みが増し、傷も腫れていた。
この頃はわからなかったが、腫れがひいて、初めて切除部位の陥没を実感したのでした。

徐々に皮膚の赤みは減っていった
その後、皮膚炎は落ち着いた。
日焼けしたように照射部位の皮膚の黒ずみは残っている。

放射線治療による有害事象の一つである筋肉の拘縮は、自分が想像していたより影響大でした。
筋肉がこれ程、拘縮するとは思っていませんでした。
股関節周辺の筋肉の拘縮で、変わったこと
🔸左脚を少し引きずるようになった
🔸杖を使う。健脚の負担軽減のため
🔸あぐらは無理
🔸早く走れない
🔸脚を上げづらいので階段をスピーディーに登れない
🔸立っているとバランスを崩しやすい

大事にし過ぎて、体幹の筋力も弱った事も影響してるかな

その2に続く