退院後一週間休みをとり、クリスマスあけに仕事復帰しました。術後の痛みは全くなくいたって快調でした。

ガーン仕事納めの日
 この日は、たまった仕事を少しでも整理し新年を迎えたかったので残業していました。すると18時過ぎにA 病院🏥のT 先生から電話がありました。先生から直接の連絡に驚き👀‼️ました。
 T 先生は、明日の診察(病理診断結果説明)は、込み入った話をするので、家族同伴で来て欲しいと話されました。
あいにく夫は、年末休暇を県外で過ごすため、その日の朝から出かけていました。私はT 先生に夫は出かけているため同伴は難しいので一人で説明を受ける。私は一人でも大丈夫ですからと伝えました。T 先生はできるだけ一人ではない方が良いのだが、都合がつかないなら仕方ないと話され電話を終了しました。
 急な連絡に戸惑いつつも、すぐに夫に電話をしてT 先生から連絡が入ったことを伝えました。
夫も病院から家族同伴の連絡が入った=悪性を覚悟しなければならないことをすぐに理解し動揺しました。
夫と話し合い、夫がこれから戻ってくるのは大変なので、明日は予定どおり一人で出向くことにしました。
その後は動揺しつつも仕事を続け20時頃職場を出ました。
 帰りのバスの中では、悪性ポーン悪性線維性組織球腫?滝汗 死笑い泣きという文字が、頭の中を巡り自然と涙😢がこぼれていました。
自宅にたどり着き携帯を見ると夫からのメール📩が入ってました。メールには夫はもう新幹線🚅に乗ってこちらに向かっている。22時半過ぎに到着予定だと書かれていました。
一人で大丈夫と言っていたものの、夫が急遽戻ってきてくれる事になり安堵しました。
 雪の降りしきるなか、夫を駅に迎えにいきました。その夜は、二人ともよく眠れず長い夜🌃でした。