医師ラマチャンドランの患者たちは、
妄想で作り上げたお猿さんをリアルに見たり、
ミッキーマウスが眼前に現れたりしていました。
こうした妄想がなぜ生じるか?
脳はそもそも妄想を構築する存在だということです。
外側に存在している色・動き・傾き・形などバラバラな与件を
「基準となる平坦な信号」と呼びましょう。この基準となる平坦な信号が眼球から
入力されると、脳は、これを保存する。しかも、大事なことは
脳のあちこちにバラバラに保存するという事実です。
脳はこのバラバラに保存している情報を組み上げて
現実を「構成」するということになります。
まさにカントの言うように現実を「構成」している。
ですが、
もし、眼球から入力されているということを
知らせる経路が破壊された場合は、
脳は、「基準となる平坦な信号」とは無関係に
無関係に、
脳に保存されている
バラバラな情報を勝手に組み上げて
猿やミッキーマウスを「現実のように」を構成してしまう。
くりかえしますと、まず、網膜の細胞や初期の視覚路は、つねに活動していて、
「基準となる平坦な信号」が入力されつづけている。この「基準信号」は、網膜に猿や漫画がとびこんできていないことを常に知らせるのです。
しかし、この信号が伝達される経路が1部分だけ途切れていると、その破損している部分は、「基準信号」がないので、幻覚が生じるということになるというわけです。(だから経路の1部分が破壊されているので視野の下半分だけにお猿さんが現れたり、円形の空白部分にミッキーマウスが現れたりするわけです)
この「基準となる平坦な信号」を「第1の外部」と呼びましょう。
これは、カントの「物自体」に対応するものです。
例えば、私の好きなリチャード・ローティは、これを「対象X」
「因果的プレッシャーX」とか呼ぶのですが、
さしあたって、脳科学的な説明では、
ラマチャンドランのいう
「平板な信号(色・動き・傾き・形などバラバラな与件)」
が「第1の外部」であるということです。
今回は、「第2の外部」のお話です。
またまた、ラマチャンドランの本を使います。
今回は、カプクラ症候群のお話です。
この症候群の患者は、家族や親しい友人が
「にせもの」に入れ替わったといった信念ないし妄想
を持ちます。
この患者は、自動車事故などでの回復のあと、
ある日突然、愛する母親の顔を見ても
「あたたかさ」や「親しみ」を感じなくなります。
患者にとって、母親は、「にせもの」なのです。
家族や友人は以前と同じ顔をしているし、
同じ振る舞いをしているのだから
同じ人物であると考えるべきだと患者自身が
思っているのですが、
しかし、なぜか、患者は、
母親が、にせものだという信念を決して捨てないのです。
患者は、母親や友人が「にせもの」であるという
信念を「維持」するためにさまざまな妄想
をつくります。
例えば、実は、宇宙人が母親に化けているとか、
そっくりのアンドロイドだとかです。
カプクラ妄想患者は、人間だけではなく、
ペットや無生物に対しても生じます。
コーヒーカップやテレビ、パソコン、鉛筆などが、
交通事故のあと、使い慣れている自分のものだとは
思えなくなります。
つまり、かつて自分がもっていた
ものの「にせもの」だと感じるようになります。
そのため、誰かが自分をからかおうとして
他の物にすりえたのだといった妄想をつくりあげます。
荒唐無稽のような妄想にみえるでしょうか
これは神経疾病学上、確立された症状です。
この症状はなぜ生じるのでしょうか。
カプクラ症候群のメカニズムは、
簡単に説明できます。
脳は、2層構造をしています。
まず、脳の中心には
「感情・情動」をあつかう「辺縁系」という部分
があります(古い脳)。
この辺縁系を包むようにして「大脳皮質」(新しい脳)が
かぶさっています(辺縁系という概念の問題点は、ここでは述べません)。
大脳皮質(新しい脳)の側頂葉に「顔や物」の形を
認識することを専門にする部分があります。
正常な脳では、この大脳皮質(新しい脳)で
保存されている「顔」の情報が、
「辺縁系」(古い脳)に送られ「愛や憎しみ」
といった「情動反応」が促進されます。
母親や友人の「顔を認識」(大脳皮質)したら
「愛や親しみ」を感じる(辺縁系)わけです。
あるいは、ライバルの「顔を認識」(大脳皮質)した
あと、怒りや、競争心が生じる(辺縁系)というわけです。
カプクラ症候群では、「顔」の
「視覚に関する領域」(大脳皮質)と
「情動に関する領域」(辺縁系)の
連絡がないのです。
これが解答です。
患者は「顔」の認識においてまったく
障害は生じていません。
つまり顔を認識できないわけではなく、
感情がないわけでもありません。
実際、彼らは、まったく正常に人間的な感情を示します。
彼らは大脳皮質と辺縁系の2つを結びつける
能力に障害をおこしているのです。
「顔の認識」(形態・視覚情報)だけが、
辺縁系(特にその中の「扁桃体」)にとどかないのです。
その証拠に、親や親しい友人を「見る」と
「にせものだ」とカプクラ症候群の者は、言うのですが、
同じ親や親しい友人が、電話で「話す」と
「にせものだ」とは言わないのです。
「大脳皮質」と「辺縁系」のつながりの中で、
「聴覚」の部分はしっかり連絡しているのに対し、
「視覚」の部分だけが選択的に大脳皮質と辺縁系の
つながりを欠如させているわけです。
この大脳皮質(理性脳)と「辺縁系」(情動脳)の
接続が完全に途切れてしまう人もいます。
これが「コタール症候群」です。
カプクラ症候群に輪をかけたような
発展型が「コタール症候群」です。
カプクラ症候群においては「視覚」だけが、
辺縁系と切り離されているのに対し、
コタール症候群においては
あらゆる感覚が辺縁系(特に扁桃体)と
切り離されています。
この患者は「自分は死んでいる」といい始めます。
患者にはこの世界の中であたたかさや、
親しさといった情動的な意味をもつ
物や人がいっさいありません。
どんな物も人も感触も音も感情に
影響を与えません。
したがって患者は、「自分は死んでいる」と
考えるしかないわけです。
彼が不注意で針で刺し血がでてきても、
彼は「死体からも血がでるものだな」といって驚きます。
このコタール症候群の弱いものがよく知られた
「離人症」や「現実感喪失現象」であります。
すべてが、非現実的で、生きている感覚が
しなかったり、生き生きした感覚を持てない。
急性の不安や抑うつにおそわれ、
世界が急に非現実的に見え、夢のように
思われてしまうわけです。
これは一時的にわれわれもこうした
症候に見舞われます。
たとえば探検家リビングストンが、
ライオンに襲われ、自分の腕が食いちぎられても、
痛みはおろか恐怖さえまったく感じなかったそうです。
「いっさいが人ごとのように、
あたかも遠くから出来事を眺めているように感じられた。」
そうなのです。
「戦場の兵士や、レイプにあった女性たちにも
これと同じことが起こる場合がある」そうです。
この場合、「大脳皮質(とくに前頭葉)」が、極度に活性化し、
扁桃体などの「辺縁系」を抑制あるいは
一時停止させるのだとラマチャンドランは解釈しています。
さて、この「カプクラ症候群」と
正反対の症状に「フレゴリー」という症状があります。
この場合、この症候群の患者は、
いたるところに同じ人をみる。
通りを歩いているとほとんどの
女性が母親に見えたり、若い男性が
みな弟そっくりにみえたりする。
この患者は、カプクラ症候群とは逆に、
「顔を認識する領域」(大脳皮質)と「扁桃体」(情動脳)
の間の連絡が「過剰」であると考えることができるわけです。
だからどの顔にも「あたたかさ」がふきこまれる。
女性というカテゴリーに属するものが過剰になり
すべてが「母親」に見える。
過度な情動的一般化が生じている。
逆に、ある一群のカテゴリーに属するどの
顔にも「嫌悪」を見る者もいます。
ラマチャンドランの推論ではこれが
人種差別が生じる原因です。
ある視覚のカテゴリーのひとつに
深い不快な出来事があると、
その種類のメンバーに不適切に
過剰な一般化が生じてしまう。
あるカテゴリー(例えばユダヤ人)は、
すべて情動的に嫌悪を意味してしまう。
「大脳皮質」と「辺縁系」の接続が過剰に
なっているわけです。
(続く)
参考文献↓
脳のなかの幽霊 (角川21世紀叢書)
