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24歳の若さで、亡くなった、陸上競技選手で、ジャーナリストでもあった人見絹枝さんは、岡山市南区福成の出身で、岡山県津島の、桃太郎スタジアム前に、彼女の銅像がつくられている。

(女性がスポーツをするなんて、はしたない!)と言われた時代に、そのような偏見を打ち破ったのは彼女で、女子スポーツ黎明期の1920年代、すい星のごとく現れた人こそ人見絹枝であった。

 

 

幼少のころから、ずば抜けた身体能力を持ち、13歳、岡山高女に入学、4年間、往復12キロの道を徒歩で通った。

卒後、二階堂体操塾(現日本女子体育大学)で本格的な訓練を受け、そこを卒後、19歳で大阪毎日新聞社に運動記者として入社。

1926年、スウェーデンでの第2回万国女子オリンピックに、日本選手団としてただ一人参加、こちらで初めて手にした円盤投げで3位入賞、得意の走り幅跳びで優勝、立ち幅跳びも勝ち、独りで大量15点獲得し、個人優勝!

 

 

2年後、第9回オリンピックアムステルダム大会では、100mなど数種目で惨敗、全然練習もしたことがない800mに出場し2着、銀メダル!

しかし、忙しすぎて体調悪く、休むこともなかったため、わずか24歳の生涯を駆け抜けた。(愚かなりとも、努力を続けるものが最後の勝利!)という名言を伝えている。