光州事件とは、1980年5月18日から5月27日にかけて、韓国の全羅南道の道所在地だった光州市を中心に起きた、市民による軍事政権に対する民主主義を要求するために蜂起した事件である。
1979年10月、独裁体制を敷いた朴正煕(パクチョンヒ)大統領が暗殺され、16年にわたる支配が突然終焉を迎えた。
これで時代が変わるだろうと、民主化を求める市民たちは喜んだのもつかの間、ほどなくして全斗煥(チョンドフアン)大統領がクーデターを起こし、軍事独裁体制は維持された。
1980年5月18日朝、全南大学封鎖に抗議する学生らのデモに、戒厳軍は暴力で鎮圧、21日には軍は大規模な発砲で、庁舎になだれ込んだ軍隊は、投降した市民さえも、その場で全員射殺した。
叉、ヘリコプターでの銃撃も、後に彼らは否定しつけていたが、全日ビル10階にはその時の弾痕が、生々しく残されている。
誰がこの発砲命令を出したのか、当時の最高責任者のチョンドフアンは、最後までその責任を認めないまま、90歳で亡くなった。
(5018民主化記録館)は、光州市民墓地の中の望月洞墓地にあるが、この民主化運動の犠牲者は韓国政府によると、民間人168名、軍人23人、警察官4人、行方不明者406人、負傷者4782人、となっているが、この中に含まれない死亡者ももっといるらしい。民主化運動に反対し、軍隊が無用に市民を射殺しまくった、虐殺事件であった。