美人画の大家で艶福家だった、画家(東郷青児)! | はーちゃんのブログ

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2024.5.28のテレビ東京(なんでも鑑定団)で、予想価格200万円ぐらいの絵が600万円と高い価格が付き、出品者は大喜び、なんといっても、この絵は、東郷青児の本物の絵だった!

夢見るような甘い女性像が人気を博し、昭和時代の美人画家として、戦後一世を風靡した

東郷青児、叉、派手なパフォーマンスで、(二科会のドン)と呼ばれた。

 

 

東郷青児は、1897年(明治30年)鹿児島県生まれだが、幼少時に東京に引っ越し

1914年、青山学院中等部を卒業、1921年(大正10年)から1928年(昭和3年)にはフランスに留学し、フランス国立高等美術学校を卒業している。

絵は、竹久夢二や有馬生馬の影響を受け、特に、有馬には絵を教わる師弟関係。

パリ時代は、ピカソの影響を受け、画風に影響した。

1920年(大正9年)永野明代(はるよ)と結婚、この辺りから女性遍歴が始まり、1929年(昭和4年)既婚のまま中村修子と結婚披露宴、3月には、愛人西崎みつ子と頚動脈を切りガス自殺を図るが助かる。

これを取材に来た宇野千代と同棲、新居を建てるが、みつ子と関係復活、宇野と別れ、

妻明代と離婚、みつ子と同棲と、とても忙しい。

 

 

1940年(昭和15年)長女東郷たまみ誕生、歌手で売り出した後、画家になり

のち二科会会長となる。

1978年(昭和53年)熊本に出張中、急性心不全で没。