年二回実施しているミニクラス会を、たまには泊まりで行おうということで、
松本の浅間温泉で行った。 地元出身者たちの好意による設営で、各地から17名が参集した。
20日は松本城と開智学校を見学した後、宿で盛り上がる。
21日は穂高に移動し、碌山美術館・大王わさび農場・早春賦歌碑を訪ねた後、蕎麦屋さんで反省会後帰路につく。
自分は、白馬大池に向かいもう一泊し、22日は栂池自然園で雪どけ進行中の花を探しに行った。
松本城
国宝松本城は雨の中、どっしりとかまえている。
場内は薄暗く、急こう配の階段は落ち着いて登らねばならない。
戦国時代の緊急時に、和服の武士達は踏み外したりしなかったのだろうか。
典型的な平城で、濠の水は土手のすぐそばまで来ており、
大きな池の中に城があるように見える。
ほかの城の濠の土手とちょっと高さが違う気がする。
松本城の基礎固めをしたのは石川数正親子だが、
徳川家康の重責の家臣だったのに、何故、豊臣秀吉に謎の出奔したのか。
数正は徳川家の豊臣家との折衝者だったので諸説ある。
・秀吉の器量にほれ込んだ
・秀吉に篭絡された
・徳川家臣達に秀吉内通の疑いをかけられた
・家康の指示だった 等々
開智学校
松本藩校の流れをくむ学校で、明治6年に開智学校となった。
現存の校舎は明治9年に竣工した。
地元の大工棟梁・立石清重の創意と松本町民の熱意により、擬洋風建築の校舎ができた。
「其身を修め智を開き才芸を長する」から開智学校。
明治の初めに天使象を持ってくる発想、龍と村雲とのコラボ、
好奇心溢れる立石清重の本領発揮。
正面玄関の左右の窓の数が異なるのは、
当時の正門だった右側から見た時の景観を考慮したとのこと。