先日、品川駅での事件で容疑者の語っていたことです。

したことは、勿論許されることではないのですが

死ぬまで塀の中に居たいのなら

犯罪を犯さずにする方法を考えることも

『同じ世の中で生きている我々の責任』なのかもしれません

 

それだったら、今は相談電話で

自殺予防などをしているではないですか

それを、少し変えてみて

 

人を殺したくなる前に電話をして

とか

拡大自殺をしたくなる前に電話して

とか

 

そんなテーマで電話相談窓口を設置してはどうかというものです

 

そこで、考えられるのが

そんなことをしてしまったら

相談が殺到して

対応しきれなくなると言う懸念です

 

でも、やってみないと分かりませんし

 

そんな相談電話に殺到するとなれば

 

日本という国が

沈没し掛っているという何よりの証拠なのです

 

国の状態を知るために一つのバロメーターになるかも知れませんよ

 

兎に角、手をこまねいている暇はないのではと思います

 

 

補足ですが・・・(というかここからが本題かも知れませんが)

 

何故、先程『同じ世の中で生きている我々の責任』と申したかについて

説明をします。

 

今自分自身は決して恵まれている程の立場でも地位でもありませんし

経済力もありません

 

しかし、よくよく考えてみると

 

自分よりはるか遙かに

割を食って生きている人は五万といます

 

明日、ご飯を食べれるかどうか分からない人

自分よりももっともっと不幸な状況で生きている人が居るわけです

 

単純に考えると

そんな人たちがいるから、そんな人たちを踏み台にして(表現悪いですが現実です)

今、自分は曲がりなりにもこんな環境で生活できている訳です

(パソコンでブログなど打つことができるような環境にある)

 

世の中、食料も物資も有限個なのは百も承知です

特に資本主義の社会では

単純に能力(財力)のある者が、有限個しかない食料や物資を優先的に得られるのです。(社会主義は建前は違いますが実態は結局同じになります。人間だもの)

 

だから

能力(学力、経済力、コミュニケーション力)のある者から順にそれらの恩恵にあずかることができるわけです。

なので、あぶれる人が出るのは当たり前なのです(有限個しかないのですから、社会保障制度などもありますが、不完全です)

 

 

そう考えると

我々は少なくともあぶれているわけではない(恵まれているわけでもないのですが)

 

そこであぶれてしまった人たちを

「努力をしてこなかったお前らが悪いのだ。」

と言う人はまだまだ大人ではないですね

 

世の中には、努力でどうにもならないことがあります

それをまず知るべきなのです。

 

犯罪を犯してしまう人はほとんどが

世の中からあぶれた人たちなのです

 

我々ももし

世の中が自分より能力の高い人だらけだったらと

想像してみてください

 

例えば

自分以外

ほとんどの人が東大生並みの能力を持っていて

家庭環境も自分達よりも遙かに良い(年収2000万超え)

 

そんな中で

「貴様は努力が足りないのだ」なんて

すべて自分の責任として、のし掛かってきたら・・・

 

そんなことに想いを馳せることも

大人としての責任なのです

 

 

それと、今の日本は

「理想の人間像」というものが

凄く窮屈になっていて

それを目指すのが困難極まる時代になっているのかも知れませんね

 

それが、自暴自棄になる要因の一つとしても考えられます

 

「教育」というものを見直す必要もあります