日本人差別の正体は‥‥

 

         ~Shaudowの ひとりごと135

             2024.09.16 H・A・笑童

 

 

 人間が人間を差別する、その行為は人類の歴史のなかでいつの時代にもあった。

 それは宗教によるものであれ、民族や文化によるものであれ、あるいは身体的特徴や人種によるものであれ、そこには例外なく「勝ち組」と「負け組」が存在し、「負け組」は「勝ち組」に対して〝ねたみ〟や〝反感〟といった感情を常に持っていた。

 19世紀ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェはこの感情を「ルサンチマン」といっている。

 

 北アメリカの新大陸を目指したのは、ヘンリー8世に追われた純粋なピューリタンであったり、ヨーロッパ各地域からのいわば「負け組」たちであったが、1783年、イギリスからの独立を勝ち取りアメリカ合衆国を建国すると、100年後の1886年には粗鋼生産量でイギリスを抜いて世界一位の工業国として躍進を遂げていった。

 

 しかし、当時の世界の一等国はイギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国であって、アメリカはまだまだ新興国としての立場であった。

 この時期、アメリカと同じように一等国の仲間入りを目指し、アメリカ以上に急激に頭角を現してきていた国があった。

 

 それは1894年の日清戦争と1904年の日露戦争に勝利した日本であった。

 どちらも大国相手の勝利だったが、なかでもバルチック艦隊を擁するロシアとの戦争は、アジア東端の小さな島国など数日のうちに決着がつくだろうという大方の予想を覆しての勝利であって、ヨーロッパをはじめ世界の国々は大きな驚きとともに、小さな島国を注目することとなった。

 

 工業製品の販路をアジアに求めてシナ進出をもくろんでいたアメリカはこの事態をこころよく思うはずもなく、すでにシナ大陸にはヨーロッパ諸国が進出しており、そこへ権益を拡大しようとする日本はアメリカにとって目障りで仕方がない。

 しかも、世界のあらゆる地域で何世紀にもわたって優位を保ってきた白人社会に対し、東洋の端っこの小さな島国に住む有色人種が抗うなどと、考えてもいないことだった。

 

 この頃のヨーロッパはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が火をつけた『黄禍論』が庶民の関心を集めていた時期でもあった。

 『黄禍論』は眠れる獅子とされるアジアの清国を倒した小国の日本が、欧州諸国の経済基盤であるアジアを統一すれば9億人のマンパワーを持つことになり、それはヨーロッパのみならずキリスト教世界にとって大きな脅威となるというものであった。

 つまり『黄禍論』は黄色人種脅威論であった。

 

 ヴィルヘルム2世はこの書簡を従兄弟のロシア皇帝ニコライ2世や、欧州諸国の王室、各国の政治的指導者のほか、第26代セオドア・ルーズヴェルトアメリカ大統領にも送っている。

 当初は親日派であったルーズヴェルト大統領だが、急速に海軍力を増強する日本はハワイを狙っているなどと強烈な日本脅威論者に変身し、日露戦争の仲介に際してはロシアに有利な平和条約を進めている。

 ちなみに、このポーツマス条約の和平交渉によってルーズヴェルト大統領はノーベル平和賞を授与されたが、その反面でインディアンの絶滅も宣言している。

 

 さて、ヨーロッパにおける『黄禍論』は黄色人種脅威論に傾斜していたが、アメリカにおいては大きく様子が異なっていた。

 すなわちアメリカ合衆国の国民であるアメリカ人は、ヨーロッパに暮らしている頃は、その古い歴史と文化を共有していたが、独立してからは世界一位の工業国ではあっても、歴史の浅い新興国の立場はどうすることもできず極めて複雑な感情をアメリカ国民は抱いていた。

 

 アメリカにとって目障りで目の上のタンコブのような日本には、合衆国国民があこがれるイギリス以上の歴史と伝統と文化を有している。

 アメリカ国民が共通して持っている日本国あるいは日本人への羨望、劣等感、妬み、反感といったルサンチマンを解消することがアメリカ政府指導者の重要な任務でもあった。

 

 日露戦争終結とともにアメリカは日本を仮想敵国にした戦争計画(オレンジ計画)を本格化させたが、同時に今後は軍事的、精神的、文化的にもアメリカの前に立ちふさがる国にしてはならず、終戦後に日本国と日本人をどのように作り替えるかも重要な課題であった。

 

 ルサンチマンを断ちきる最良の手段は「日本の歴史的価値・文化的価値」を低下させること、そして古い歴史と伝統は「野蛮で好戦的な民族」のもとに作られたものであることを証明しなければならなかった。

 しかし、日本史家、東洋史家などで組織されたチームから提出された日本の歴史は、あらゆる面においてアメリカの政治指導者にとって都合の悪いものであった。

 

 すなわち古代ヨーロッパでは、青銅器、鉄器は戦闘武具として開発されてきたが、適度な距離を海で隔て隣国と接していないためヨーロッパのような侵略戦争のなかった日本においては、その伝来が遅かったものの青銅器は祭祀用具として、鉄器に至っては農耕機具として主に開発されてきていた。

 しかも、日本は他国と接していないため近代に至るまで「国」という概念はなく、武士が台頭してからも自らの領地を守る僅かな軍事集団を持っていたが、国としての軍隊は所有してはおらず、これは江戸時代になっても変わることはなかった。

 「銃」も量的規制され、火薬に至るまで常に中央政権への申請が必要であり、海軍力に至っては50トン以上の船を持つことは法律で禁じられており、しかもその船も軍事用ではなく、海運用のものであった。また「銃」は害獣対策として所持が許された農民のほうが武士よりも多く持っているという始末であった。

 

 そこでアメリカ首脳部はかねてより描いていた「野蛮で好戦的な日本」「侵略国家日本」の新しい歴史を捏造することに着手した。

 

<神である天皇と世界制覇をもくろむ日本民族は、初代の神武天皇から2600年のあいだ他国を侵略し続け、その戦争物語は神話としてまとめられ、近代まで子供たちの教材となって教えられている。

 そして、日本人の宗教である「神道」は軍事独裁者の天皇を神と祀り、仏教寺院より数の多い神道の神社は日本国内の至る所にあって日本民族の精神構造の支えとなっている>

 

 この捏造された日本の歴史はアメリカの学者たちの摩訶不思議な学説によって、アメリカ国民に教化された日本のイメージは現代にいたるまで多くのアメリカ人の心に宿っている。

 また『軍国特派員日記(TOKYO RECORD)』は『ニューヨーク・タイムズ』や『ロンドン・タイムズ』の特派員がみた日本の国内事情を記したものだが、その内容はでっちあげの記事を網羅し、「世界制覇」をもくろむ日本が随所に描かれていた。

 

 こうした社会情勢を背景にしてルーズヴェルト大統領が連邦議会に提出した宣戦布告要請の親書には次にように書かれてあった。

 「日本の世界征服計画は半世紀前に出来上がっていた」

 つまり、アメリカ合衆国が日本の江戸時代末期に送ったペリー提督がパンドラの箱を開け、野獣を野に放ってしまった、というのだ。

 そして、天孫降臨によって天から地上に降り立った神々による世界征服神話が、いま再び始まったとルーズヴェルト大統領は国民に訴えた。

 

 捏造された日本の歴史を信じるアメリカ国民は、日本に勝利するだけではいけない、正義と民主主義のために、日本を二度と立ち上がれないようにしなくてはならない、と感じたに違いない。

 

 こうして全米の支持を受けて始まった日本との戦争だが、開戦の翌年4月には、すでに日本本土への攻撃が始まっており、戦争の成り行きよりもむしろ戦後の日本改造にアメリカ指導部は傾注していくこととなる。

 

 例えば、終戦2年前の夏に行われた全米の世論調査では33%が日本の天皇処刑に賛同していたし、終戦前年の2月にはキリスト教各宗派の全体会議が神道の神社を攻撃するよう大統領に要請するなど、政府が捏造した作り話の日本を妄信するアメリカ国家が出来上がっていた。

 

 最後の仕上げである日本の改造がアメリカの最重要課題であるなか、戦勝国の合議制では満足な結果が得られなかったかも知れないが、ここでも計画通り進めることができた。

 何とか間に合った広島・長崎への原爆投下は他の戦勝国を黙らせる効果を十分に果たすことができ、承認を得るだけでほぼアメリカ単独で事を運ぶことが可能となったのだ。

 

 アメリカ国民を妄信させたように次は日本国民を作り替える作業が待っている、なかでも日本人に戦争犯罪者意識を刷り込ませる作業は大変だが、これはアメリカの正義と民主主義のために是が非でも成し遂げねばならない一大事であった。

 

 名目上は連合国の機関である極東委員会の指揮下にあったが、アメリカ主導の下で日本に駐留することになった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が行なった日本の改造作業はこの場で改めて記す必要もないだろう。

 しかし、そのなかで洗脳作業に重要な役割を担ったマスメディアへの報道規制を紹介しておこう。

 

 昭和天皇の玉音放送から1ヶ月も経っていない9月10日、GHQは「新聞報道取締り方針」を発表し、同19日に「日本出版法」を制定した。

 表面上は「日本に言論の自由を確立するため」と、謳っていたが、実態は「事前検閲」による厳重な言論統制であり、その内容は30項目に及んでいた。

 

①SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判、②極東軍事裁判批判、③GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判、④検閲制度への言及、⑤アメリカ合衆国への批判、⑥ロシアへの批判、⑦英国への批判、⑧朝鮮人への批判、⑨中国への批判、⑩その他連合国への批判、⑪連合国一般への批判、⑫満州における日本人の取扱いについての批判、⑬連合国の戦前の政策に対する批判、⑭第3次世界大戦への言及、⑮冷戦に関する言及、⑯戦争擁護の宣伝、⑰神国日本の宣伝、⑱軍国主義の世伝、⑲ナショナリズムの宣伝、⑳大東亜共栄圏の宣伝、㉑その他の宣伝、㉒戦争犯罪人の正当化及び擁護、㉓占領軍兵士と日本人女性の交渉、㉔闇市の状況、㉕占領軍軍隊に対する批判、㉖飢餓の誇張、㉗暴力と不穏の行動の扇動、㉘虚偽の報道、㉙GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及、㉚解禁されていない報道の公表

 

 他にもGHQの行なった日本国および日本人改造作業は、歴史、文化、宗教、教育など多岐にわたって完璧に遂行された。

 結果、数千年にわたって蓄積された遺産と言語を失った日本人が戦後に誕生した。

 

 戦後は「南京大虐殺」「慰安婦」など日本人自身がつくった虚偽の事件が独り歩きしている。

 もう、アメリカ国民は日本人に対して妬みも劣等感も持っていない、なにしろ日本人の歴史は間違いだったのだから、我々の日本人への批判は正しかったのだ。

 

 相手を非難して自らを正当化しようとしたこの行為をニーチェは厳しく批判し恐れていた。

 しかし、アメリカ政府はこれを逆に利用した。

 そしてアメリカ人のルサンチマンは新しい道徳へと生まれ変わったのだ。