「差別大国」アメリカ
~Shaudowの ひとりごと133
2024.07.03 H・A・笑童
あの民主主義で平等の国が‥‥」と疑いを持たれた方には申し訳ないが、アメリカほど差別が蔓延している国はない。
アメリカでは差別用語、中傷語、蔑称語が、老若男女あらゆる年齢の人たちによって日常的に普段の会話の中で使われている。
その対象は国や地域や特定の組織から、肌の色や髪の毛といった身体的特徴、あるいは個人の性格や集団の文化に及ぶまで、仲間の利益を阻害するあらゆるものを対象にしている。
つまりアメリカ社会は差別が当たり前に行なわれている国であり、しかも自らの言動に罪の意識を微塵も感じることのない厄介な国なのである。
差別の事例についてはあまりに多いので紹介しきれないが、その一部をみていただこう。
その前に断っておくが地球上に単一民族の国はほぼ存在しないが、日本のように長い歴史を経て単一系民族と呼べる国は数多く存在する。
しかしアメリカという国は単一民族の国ではもちろんないし、単一系民族国家でもない。
ひと言でいえば移民国家である。
イギリスを中心にヨーロッパ各国の貧民が北米大陸に渡り、その後生産性が向上するにつれ新しい労働力を求め、中南米、アジア、アフリカから安価な労働者を受け入れ、あるいは金銭で仕入れて出来上がったのがアメリカという国である。
当初アメリカにはインディアンと呼ばれる原住民が住んでいたが、自国では負け組の移住者であってもそこそこの文明の中で暮らしていた彼らからすれば、インディアンは未開の劣った人間に映ったのだろう。
皮膚の色でインディアンのことを、「Redskin(レッドスキン)」と呼んだことが1699年の記録に残されている。
以降、先に北米大陸にやってきた人たちは、後からやってくる移住者を蔑視し、差別した。
ことに民族の違いや身体的特徴の差異は仲間意識を生む反面、差別も露骨で陰湿なものになっていった。
すなわちこの国は初めの入植から現代までの400年近くの間、新しい移民が入植するたびに、新しい奴隷が移送されてくるたびに、それに見合った差別用語を生み出してきた。
そしてそれは大陸への移民のみならず、スペインやメキシコなどとの領土戦争の余波であったり、東海岸から西海岸への民族の移動に伴うものであったり、アメリカ国民が多様化になるにつれ、急激な社会変化の中で差別用語は果てしなく増え続けていくことになる。
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1920年頃、アメリカに入国しようとしたイタリア人の多くが「W.O.P 」と書かれた書類とともにイタリアに送還された。
「W.O.P 」とはイタリアからの移民が最も多かった19世紀末頃のイタリア人への差別用語であった。
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「ラグタイム」という言葉が定着した19世紀後半のアフリカ系アメリカ人のエンターテイナーであるアーネスト・ホーガンは『All Coons Look to me 』(すべての「coons」は私に似ている~すべての黒人は私には同じに見える)という曲を作ったが、当時の黒人ショービジネスの世界で「coon」は自分たちの仲間を指すユーモラスな言葉として受け止められていた。
決してホーガンは黒人への差別用語として「coon」を使ったのではなかった。
しかしミンストレルショーで取り上げられてからは一変した。
ミンストレルショーとは顔を黒く塗った白人が演じるエンターテインメントであった。
この中で「coon」がどのように演じられたかは定かでないが、以降、ホーガンの思惑とは異なり「coon」はアフリカ系アメリカ人への差別用語として知られることになった。
このようにアメリカの差別用語が一般社会に広がるに際してマスメディアがその拡散を援助し後押ししているのが分かる。
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ショービジネスの世界だけではない。
アメリカの歴史の中で大衆文化や高尚な文学作品もその内容にリアリティを持たせるために汚い差別用語を使ってきたし、映画界でも無声映画から音声が出るようになると一斉に差別用語が氾濫するようになった。
一般家庭の中に差別が当たり前のように浸透したのはテレビの影響が大きい。
1971年から1983年まで続いた『All in the Family 』は、アメリカで最も高い視聴率を誇り影響力のあるホームコメディであった。
主人公のアーチー・バンカーは第2次世界大戦の退役軍人であり、ブルーカラーの労働者という設定で、アメリカの平均的な家庭で暮らしていた。
性格は努力家で愛情深い父親であったが 黒人を「有色人種」と呼び、黒人、ラテン系アメリカ人、ポーランド系アメリカ人、アジア人、ユダヤ人、フリーメイスン、ヒッピー、カトリック教徒、ゲイ、ウーマンリブといったマイノリティをあざけり、軽蔑していた。
彼のマイノリティへの差別は特別なことではなく、当時の平均的な米国人に共通した思考であり、従ってこの考え方はもちろん子供たちにも受け継がれていった。
すなわちアメリカのテレビ界は都会にあった差別用語を郊外の一般家庭の居間に持ち込んだのである。
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家庭に持ち込まれた差別用語は、子供たちが歌う「ことばあそび」にも波及していった。
「Eeney-meeney-miney-moe/Catch a tiger by the toe/If he hollers let him go/Eeny meeny-miny-moe」
(イーニー ミーニー マイニー モー/虎のつま先をつかんで捕まえろ/もし虎が吠えたら放してやれ/イーニー ミーニー マイニー モー)
この歌は「かくれんぼ」で鬼を決める際に歌われたが、「tiger」を「monkey(猿)」や「piggy(こぶた)」など他の動物に置き換えていたが、最もよくつかわれたのが「tiger」を「nigger」に変えて子供たちが歌っていたものだった。
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あらゆる角度から国民の体内深くに入り込んだ他人への蔑視や中傷は、アメリカ国民から差別する感情を麻痺させてしまった。
それは聖職者であろうと政治家であろうと変わることはない。
ミシシッピ州のセオドア・ビルボは1908年から亡くなる1947年までの40年間、州議会議員や州知事、連邦議会議員を歴任したが、彼は次のように言っていた。
「人種隔離は差別なんかじゃない。私は黒人たちが学校、教会、家、遊び場、公園、プール等、素晴らしい施設を持ってほしいと思っているし、そうであったら嬉しいと思う。しかし、黒人がわれわれ白人のプールの水の中に、ごちゃ混ぜに入るのだけは勘弁してほしいね」
黒人を「Negro(ニグロ)」と呼び、著書では「nigger(ニガー)」と記すなど当時としても急進的なレイシスト(人種差別主義者)であった彼は1946年、最後の連邦上院議員選挙ミシシッピ州予備選で圧倒的な強さで他候補を下し再選された。
第2次世界大戦におけるヒトラーの非人道的行為を批判し、キリスト教の道徳観をもつミシシッピ州の住民も地元の選挙では差別主義者に投票した。
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1971年、台湾の独立を認めず中国に代表権を与える決議が国連総会であり、アフリカのタンザニアは中国の案に賛成した。
このときニクソン大統領とカリフォルニア州知事レーガンとの電話での会話が残されている。
レーガン:「昨夜、あれをテレビで観てしまった。あのアフリカの猿ども、靴を履くことにも慣れていないくせに」
ニクソン:「ははは」
この電話記録が数年前に公開された。それもアメリカなのだろう。
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大統領候補であったジェシー・ジャクソンは1984年、ワシントン・ポストの記者インタビューでユダヤ系評論家を「Hymie白人」、ニューヨーク市を「Hymie town」と言った。「Hymie」とはユダヤ人に対する差別語であり、このことで彼は選挙候補を失ってしまった。
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・初代大統領ジョージ・ワシントンは原住民のインディアンを狼と同じ猛獣だと言っていた。
・第3代大統領トーマス・ジェファーソンは独立宣言に「すべての人間は平等に創られている」
とサインしたとき、彼の頭は「人間は能力や徳性が異なるので均質になり得ない」と、考えていた。
そして当時の人々が考える平等は「白人の男性社会」においてのみであり、白人のための法律と奴隷のための法律が存在することに何の疑いも持たなかった。
・第26代大統領セオドア・ルーズヴェルトはインディアンの絶滅を公言した男ととして知られている。
・第32代大統領フランクリン・ルーズヴェルトは新渡戸稲造の『武士道』を読んで感銘を受けたといって、日本では好意的に受け取る人もいるが、彼ほど日本人を差別した大統領は他にいない。
彼は日本人を次のように説明していた。
「黒人やスパニッシュは白人と交配することで改善するが、日本人は頭蓋骨の形状が他の人間と違って凶暴な性格は変わらず、白人と交配しても日本人には通用しない」
また、「日露戦争で最強のバルチック艦隊を破った日本帝国が、4億人のマンパワーと資源を持つ中国を手に入れれば、世界の勢力均衡は大きく変わるだろう。西洋の白人世界は彼らの挑戦を受けることになるだろう」とも言っていた。
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ヨーロッパにも人種差別はあった。
17世紀のヨーロッパではアフリカから連れてこられた黒人と猿がともに鎖につながれ、舞台の上で見世物となっていた。
当初、アフリカから連れて来られた黒人は労働力ではなく高価なペットだった。
その後、大航海時代から産業革命で大量の黒人が北米大陸に移送され、19世紀には神学や民族史学、解剖学、進化論などの学問による人種差別の思想的裏付けを行ない、有色人種の欠陥を指摘し、差別の正当性を証明しようとした。
そしてこの思考が、第2次世界大戦の終戦間際に展開された太平洋での日本人の大量死、B29による国内各都市への爆撃、広島長崎への原爆投下などに投影される。
すなわち、「優秀で敏感な白人とは異なり、身体的にも情緒的にも劣った日本人は痛みを感じることはなく、彼らにとって死は安価なのだ」と、米国民に伝えられた。
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さて次に、米国人が民族の正式名称を日常的に差別言葉として使っている例を紹介する
・1983年1月、合衆国大統領のスピーチライターであったウィリアム・サファイアはホワイトハウスの組織上の問題を「Chinese firedril」(チャイニーズ ファイヤードリル:中国人の避難訓練)と言っている。
・他には、1本のタバコと1杯の水を「Mexican breakfast」(メキシカン ブレックファースト)。
1ドル紙幣のことをを「Jew flag」(ジュー フラッグ:ユダヤ人の旗)。
酔っぱらって無茶をすることを「Dutch courade」(ダッチ カレッジ:オランダ人の勇気)。
許可を得ずに軍隊を休むことを「French leave」(フレンチ リーヴ:フランス人の休暇)、など。
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国名や集団の正式名称を差別する動詞として使っている場合もある。
・「Dutch(ダッチ:オランダ人)」する → わざと物事を台無しにすること。
・「nigger(ニガー・黒人)」する → 不注意で物事を台無しにすること。
・「Welsh(ウェルシュ:ウェールズ人)」する → 約束を破ること。
・「jew(ジュー:ユダヤ人)」する → 人を騙すこと。
・「jap(ジャップ:日本人)」する → 予告なしに攻めること、など。
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次は差別の中で最もよく使われている身体的特徴に関する差別用語を挙げてみよう。
・「slant eyes(スラント アイズ:吊り上がった目)」はアジア系アメリカ人への蔑称語。
「eagle beaks(イーグル ビークス:かぎ鼻)」はユダヤ人。
「broad noses(ブロード ノージズ:広い鼻)」は黒人。
「wuuly heads(ウーリィ ヘッズ:もじゃもじゃ頭)」はアフリカ系アメリカ人といった具合である。
・そして肌の色についての蔑称語は、
アメリカ先住民には「redskins(レッド スキンズ)」、「redmen(レッドメン)」、「red devils(レッド デヴィルス)」などがある。
黒人には肌の色が黒い(濃い)ことを中傷し、「darky(ダーキィ:色黒)」、「shade(シェイド:影)」、「smoke(スモーク:煙り)」、「coal(コウル:石炭)」、「charcoal(チャーコウル:木炭)」、「skillet(スキィレット:フライパン)」、「black bird(ブラック バード)」のように「black ○○」という言い方もある。
・アジア系の民族に対しては同様に「yellow ○○」がよく使われる。
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余談だが、当時のアメリカに『イエロー・ペーパー』という新聞があった。
この新聞は「ロシアを破った日本はカリフォルニア移民と称した元軍人を大挙して西海岸に送り込んでくる」と、事実無根のセンセーショナルな記事を書き続けた。
メディアばかりか先述のルーズヴェルト大統領のように、アメリカ政府内にも危機感が広がっており、「日米開戦」に向けての戦術が、以降何年にもわたって更新されながら練られていた。
もちろん日本は日露戦争で莫大な借金を残し、戦争どころではなかった。
この時に起こったのが「白船事件」である。
この事件に関しては元東京都知事・猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』が面白い。
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ここまでアメリカの差別をみてきたが、この国の特殊な歴史経験が積み重なって、複雑な差別と無神経な人種をつくってしまった。
しかもその国が覇権を握ってしまったのだから始末が悪い。
400年を経て蔓延した病気なので、根気よく治療するしかないだろう。
ただアメリカは歴史と文化が乏しい国なので何か策があるのかも知れない。
そもそも現在叫ばれている人種差別は大航海時代からの植民地争奪戦で確立されたもので、紀元前の頃の奴隷とは性質が違っている。
古代の奴隷は戦争の結果に伴うもので、その勝負によっては奴隷の立場が逆転する場合もある。
アリストテレスは『政治学』の中で選挙権も与えられていない奴隷制度を肯定しており、彼の唯一つの汚点だと批判する学者もいる。
しかし、アリストテレスは「奴隷」と「主」、あるいは「支配者」と「被支配者」といった言葉で語っているが、当時の社会環境の中で選び出された言葉であって、これが「事業主」と「従業員」あるいは「選挙民」と「被選挙民」という風に考えればどうだろうか。
投票に際し、熟考を重ねて候補者を選ぶ人と、エンピツを転がして決める人、あるいはお金をもらったから投票する人、ここにこそ一票の格差が必要だと考えているがどうだろうか。
アリストテレスの師、プラトンが民主主義から「衆愚政治」「暴民政治」が始まると言っていたように日本を筆頭に世界の先進国が民主主義の落とし穴に嵌ってしまっている。
アリストテレスを批判する言葉は見当たらない。
そして今、差別が必要な時代なのかも知れない。