『神話と自然災害』~Shaudowの ひとりごと127                                     2024.05.16 H・A・笑童

 

 

 人間の力ではどうすることもできないのが大気の状態である。

 

 雨や風、気温などがそうだが最も過酷な状態が地震であり、津波であり台風のようなもので、現代でもそれは自然災害と呼ばれて、ときには多くの人の命を奪うこともある。

 

 古代の人々は地震の地鳴りや台風の風の音に、神の荒ぶる姿をみたのだろう、いつもは感謝する風の神を恐れ、雨の神に手を合わせることでしか自らを守る術を知らなかった。

 

 荒ぶる神として、よく登場するのがアマテラスの弟のスサノヲだが、亡くなった母親のイザナミがいる黄泉国へ行きたいと駄々をこねるスサノヲは、泣き叫ぶ性質を持っていたといわれる。

 

 「地上に住む人々は寿命を全うできず、緑豊かな山々は枯れ山に変わってしまった」と、台風を思い描いて『日本書紀』は表現するが、当時の人たちは荒れ狂う暴風雨を、泣き叫ぶスサノヲのように聞いたのかも知れない。

 

 たび重なる悪童ぶりで高天原を追い出されたスサノヲは、黄泉国へ向かう途中に出雲国の肥河(ヒノカワ:現在の斐伊川)上流へ降り立った。

 

 出雲国には毎年、娘を食べにやってくるヤマタノヲロチという魔物がおり、今年は私の番だといって泣いているクシナダヒメという娘とテナヅチ、アシナヅチという老夫婦に出会った。

 

 スサノヲはクシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノヲロチの退治を約束した。

 

 見事に魔物を退治したスサノヲはクシナダヒメトと結婚、この地に暮らしオオクニヌシの先祖となった、と『古事記』『日本書紀』はヤマタノヲロチ神話として伝えている。

 

 しかし、同時期に成立した『出雲国風土記』にこの物語は書かれていない。

 同様に「国譲り神話」も『記紀』は伝えるが『風土記』にみられない。

 

 ところが逆に、最初は細長い小さな土地を大きな出雲国に拡大したという壮大な「国引き神話」は『風土記』にはみられるが、『記紀』には書かれていない。

 

 出雲を統治して、全国を統一したいヤマト朝廷と、それを阻止したい出雲とではそれぞれに思惑があるのは当然で、今回は両者の攻防を眺めるのではなく、ヤマタノヲロチ神話の裏に隠された情景をみてみよう。

 

 『古事記』によると

 ヤマタノヲロチは「その目は鬼火のように赤く、胴一つに頭と尾が八つずつある。

 また、体中に蘿(ヒカゲ)や檜、杉が生えている。

 身体の長さは八つの谷、八つの峰に及ぶほどで、腹は常に血が爛(タダ)れたようになっている」と、伝えている。

 

 ヲロチの体を覆っている蘿(シダのこと)や檜、杉は、スサノヲが降り立った肥河の上流の峡谷を指している。

 ヲロチとは「峡(ヲ)の霊(チ)」を意味し、峡谷に宿る神霊のことである。

 

 そして「爛れる」はよく使われる言葉で、例えば『日本書紀』の斉明天皇元年(655年)10月己酉(ツチノトトリ)条に「小懇田(明日香村)に宮殿を建てようとしたが、製鉄用の薪を作るために樹木を伐採したので山の木は朽ち爛れ、宮殿を造れなかった」と、ある。

 

 また、ヲロチ神話の時代(6~7世紀頃)は鉄が普及し始め、各地で製鉄作業が行なわれており、ヲロチの「腹は常に血が‥‥」は製鉄の炎をあらわしていたと思われる。

 斐伊川も古来より鉄穴流し(カンナナガシ)が行なわれていたところであった。

 

 「鉄穴流し」とは砂鉄の採取方法だが、比重の異なる砂鉄と土砂を分離するため、川の水流を利用したのだが、そのために川床が上昇し河川下流域に鉄砲水が発生するなど、農業灌漑用水に悪影響をもたらしていたばかりか、峡谷の出口にあたる扇状地にも度々の水害を引き起こしていたと推察できる。

 

 加えて日本の河川は流路が短く保水容量は低いが、地理的要因により急流であり、流域地帯への水害は常態化していたと思われる。

 

 さて、娘のクシナダは「奇し稲田(クシナダ)」、すなわち稲田を意味し、老夫婦のテナヅチ、アシナヅチは「手撫づ霊(テナヅチ)」、「足撫づ霊(アシナヅチ)」でクシナダヒメの手と足の精霊である。

 つまり娘と老夫婦の三人は水田耕作を象徴しているということになる。

 

 従って、ヲロチが食べた娘というのは毎年やってくる水害から田を守るための人身御供のことであろうか。

 

 しかし、古代とはいえ生身の人間を生け贄にするなど考えられないが、当時の人たちにとって災害はもちろん、現代人にとっては当たり前の日常の自然さえも命を投げ出さねばならないほどに巨大な畏怖を感じていたのではないだろうか。

 

 最後に、スサノヲが退治したヲロチの尾から取り出されたのが、現代まで天皇家に伝わる三種の神器の一つとされる天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)であり、今も熱田神宮に祀られている。

 

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 絶対神である自然を直接に祭祀していたはずの我々の先祖が、いつの頃からなのかヲロチ神話のように英雄神を介して自然をコントロールするようになったのは何故なのか、新しい疑問は今後のブログの課題としよう。