shaudowのひとりごと123

「死者の送り」

                                       H・A・笑童 2024.04.02

 

 

 近年、大きく変わったことの一つに「死者の送り」がある。

 葬列が廃止され霊柩車の登場、式場が自宅や公民館から葬祭業者へ、祭壇の登場と葬具の変化、儀礼の簡素化や消滅など、永く続いた葬法が明治以降わずかな期間で大きく様変わりした。

 

 最近では多くの参列者が出席しての葬儀から身内だけの家族葬が主流になってきており、他にも樹木葬や山や海などへの散骨のように過去の日本人には考えられなかったショー化した送り方がみられるようになった。

 

 身内の者が亡くなれば遺体をいつまでもそのままにしておけない。

浄土真宗中興の祖といわれた蓮如の御文(オフミ)「さてしもあるべき事ならねばとて」(そのままにしておけない)のように死体を処理する儀礼が必要になる。

 

 明治期までの日本では火葬と土葬が一般的であったが、神仏分離令が出された明治初期は火葬が禁止され、完全土葬に移行した時期もあった。

 実際に青山霊園や雑司ヶ谷霊園などは土葬墓地として整備された歴史もあったが、衛生上の問題などで間もなく火葬が認められ、現在では99.99%が火葬で行われている。

 

 このように宗教上の理由により葬法が違った形式になるのだが、キリスト教社会では最後の審判で死者が肉体とともに復活するという教義によって火葬が敬遠され現在でも半数近くで土葬が行なわれている。

 

 またイスラム社会においてはコーランで死後の復活が約束されているため土葬でなければならない。

 中国など儒教国でも遺体を破壊する火葬は敬遠される傾向にある。

 ヒンドゥー教のインドではバラモンの下で盛大に火葬が行なわれるが、遺骨にも霊が宿るとする日本が拾骨して墓に納めるのに対して、インドでは火葬後の骨や灰はガンジス川に流すので墓を必要としない。

 

 崇拝する宗教によって葬送儀礼に違いは見られるが、同じ日本の国内においても地域や時代によって差異がみられる。

 

 魔物が憑りついた死者の霊が戻ってこれないように既存の塀を取り壊して作った仮門から出棺し、出棺後に塀を元通りにするこの仮門は他界との境界を意味しており、多くの地域でみられていたが今日では消滅してしまった葬送儀礼の一つだろう。

 

 このことは人々を支配していた死者の霊を恐れる観念が、近年は反対に死者の霊が家族を見守ってくれると考えるようになったと考えられる。

 

 火葬大国といわれる日本だが、戦後期において火葬は都会や浄土真宗の盛んな地域に限られ、地方では土葬も数多くみられていた。

 

 そこには、火葬することへの抵抗感とともに伝染病患者と思われたくないという理由もあったのかも知れない。

 

 葬送儀礼が生者と使者との別れの性格である以上、儀式そのものが無くなることは考えにくいが、かつては立派な葬列が死者の社会的地位を表現していたのに代わって葬列がなくなると今度は葬儀社における祭壇の豪華さがそれを表現するようになった。

 

 また自宅での死が当たり前であった時代から近頃は病院で死を迎えるのが普通になり、病院から葬儀社へ、葬儀社から火葬場へと、死者が自宅に帰ることがなくなった。

 かつての慣習や地域の風習が影をひそめ、葬儀における遺族の発言力の増加とともに儀礼の多様化が進むことになる。

葬儀費用負担の少ない家族葬が好まれるのもこの延長線上にあるのだろう。

 

 冒頭に書いた「死者の送り」が大きく変化するのは所詮は社会の変化であり、死者と生者のつながりもそれに応じて変わっていくのも受け入れていくしかない。

 

 そして、多様化が叫ばれる今、葬送に関して新たな問題が日本に押し寄せてきている。

 

 それは16万人以上といわれる日本に暮らすムスリム(イスラム教徒)と4万人以上の日本人ムスリムの存在だ。

 現在では一部のキリスト教会や仏教寺院がそれぞれの持つ所有地を善意で土葬墓地に提供しているが、年間に10%増え続けると予想されるムスリムの墓地にするには無理がある。

 

 土葬墓地が作られる地域に住む住民からは水質汚染や地元農作物への風評被害を心配する反対の声が根強い。

 それに火葬が当たり前になった近年の日本人には土葬へのアレルギーが強くなり、心理的に受け入れ難くなっているのも事実だろう。

 

 しかし、主に東南アジアから受け入れている技能実習生にはムスリムが多い。

 母国に戻らず日本で結婚して暮らすムスリムも年々増えてきているのが現状だが、彼らにとって土葬墓地の確保は切実な問題なのだ。

 

 労働力としての移民を我が国は推奨していくのだろうが、土葬墓地の確保はムスリムの人権や信教の自由を保護するためにも重要な仕事になる。

 

 民間の善意に頼らず国として規制も含めて方向性を示す必要があるのではないだろうか。

 

 余談だが東日本大震災に見舞われた被災地では一時的に土葬が急激に増加した。

 それは未曽有の自然災害が火葬場の処理能力の限界を超えてしまったためだが、大自然の前では人間の小さな知恵など跡形もなく吹き飛んでしまうこともあるということも忘れてはならない。