Shaudowの ひとりごと83

 「選挙区割り」

            2022.06.17  H・A・笑童

 

 今日(2022.6.17)、新聞各社は衆院小選挙区の区割り改定案を審議会が決定し、岸田首相に勧告したことを書いている。

 これによって東京5増、神奈川2増はじめ首都圏で9増となり、宮城、福島、新潟、滋賀、和歌山、岡山、広島、山口、愛媛、長崎の各県がそれぞれ1減となる。

 

 選挙のたびに「一票の格差」が提起され、あたかも社会問題となっているかのようだが、もっと大きなところで国民が差別を受け、この区割りがそれを加速させていることを誰も発言しようとしないのは何故だろう。

 

 いずれ参院選においても同様の事態に進行するだろう。

 

 「一票の格差」など「憲法問題」と同じで、裁判所に提訴するのは構わないが、その判定を政治の場に持ち込んではいけない。

 司法の独立を叫ぶ人はいるが、それは根本的なところで三権分立を理解していないことを意味している。

 根底にあるのは国民に差別なく安全と幸せを保証することでなければならない。

 

 今回の改定も「一票の格差」の数値を小さくすることで、国民の不満を解消することにつながると考えているのだろうか。

 まさかとは思うが、そうでないことを期待するしかない。

 

 以前にも書いたが、欧米を含めほとんどの国において、「一票の格差」は日本の比ではない。

 

 何十倍、国によっては何百倍という格差があって、国民はそのことを不満に思うことはなく、むしろ歓迎し、称賛している国さえある。

 

 それは国の政治を司る代表を選ぶときに、2通りの手段で代表を選んでいるからだ。

 

 一つ目は日本で行われている選挙と同様に、各地域の人口比で定数を決め、選挙民の投票で選ばれるものだ。

 

 そして肝心なのはもう一つの方法だ。こちらは人口比ではなく各地域が同じ定数を持っている。

 

 例えば東京都の定数が仮に3なら、鳥取県も3である。

 

 つまり全国の都道府県すべてが平等に3の議席を持っており選挙民の投票で代表を選んでいる。

 

 この場合の格差は相当なものであることはお分かりいただけるだろう。

 

 なぜ、このようなシステムが構築されているのだろう。

 

 それには主に二つの理由がある。

 

 まず一つは、日本のような東京一極集中の国にしてはならないことを彼らは知っているからだ。

 

 東京がニューヨークやロンドン、パリ、ローマ等と比べていかに異質な都市構造を持っているか知る必要がある。

 

 世界の人々は一極集中がどれほど危険なことか分かっている。

 

 歴史がそれを証明してくれているし、危機感をもって日常生活を送っていれば容易に判断できるはずだ。

 

 ところが、日本人の宗教観と民族性がそれを拒否している。

 

 日本人ほど危機感をもたず生きている民族は他にどこを探してもみあたらないだろう。

 

 もう一つの理由は、地方の町を疎かにする国は滅びるということだ。

 

 しかし、日本はどうだろう。

 

 田舎を走る公共交通機関は、採算が取れないからと廃止にする。

 病院や教育機関は効率が悪いからと統廃合されてしまう。

 

 定年後は古民家を買って田舎で余生を楽しみたいと思っても、ひとたび体を壊せば、大きな町に引っ越しを余儀なくさせられる。

 免許証を返納したために買い物にも不自由をする、などなど数え上げればキリがない。

 

 外国の地方では、都会に及ばないまでも地方に暮らす人たちの安心と安全を担保するために最低限のインフラ整備はされている。

 

 そして何よりも、その土地に住む人たちが、それぞれの町や村に誇りをもって暮らしている。

 

 都会人も彼らを「田舎者」とさげすむこともしないし、彼らが話す言葉で見下すこともしない。

 

 今回の区割りの改定案を提出した衆院選挙区画審議会は、大学教授や有識者の集まりだとうかがっている。

 

 大学教授は偉くなればなるほど研究しなくなり商売人になると噂されるが、やはり彼らも大衆迎合主義者なのだろうか。