葉っぱです🍃
2024年ももうすぐ半分ですね。
何か目標立てましたかもしくは順調ですか
遅くなりましたが、今年の目標を立てることにしました
1,2024年12月の短答試験(公認会計士)合格
2,腹筋を割って体脂肪率20パーセント以下
1つ目は公認会計士の資格試験である短答試験の合格。
今年の3月に大学を卒業して、専念を決意して何か月も経ってしまいました。これ以上自分を嫌いにもなりたくないし、断念するにしてもその後、後悔することが目に見えています。
2つ目は長年の夢であるボディメイク。自己肯定感も上げて、好きな洋服を着てフッカルになりたいあと健康
私は正直「頑張る」の意味がいまだに分かっていません
小学生のころから受験なりスポーツなり経験はしたけれど、努力したのかといわれるとイマイチよくわからない。別に手を抜いていたとかではなく、基準がよくわからないだけ。第一、「頑張ってね」といわれるのが結構苦手です。同棲している彼氏にも通勤前に「お仕事頑張ってね」とは一度も言えず、「気を付けてね」の一択(バリエーション増やしたい
)
そんな私ですが、もしかしたら今回もし1.2.どちらでも達成したら頑張ったと言っていいのではないかと思っています
今までの共通点として、取り組んでいたことが、そこまで苦痛ではありませんでした。自分で決めてやりがいを感じていたし、両親など人に言われてから嫌々行動するということがほとんどなかったから。もしくは達成したら、辛い瞬間があったとしてもその記憶は上書きされているのかも。そして達成できるまで続かなかったら、それは自分の中で頑張れなかったと位置付けされる。こう考えてしまうのもINFJの特徴なんでしょうね
本当の意味は置いといて、世間では「頑張る」という言葉に苦痛(嫌々行動する)が伴っている場合と伴っていない場合があると思います。客観的に見れば頑張っていても、自分的には頑張っていない。その逆も然り。
いずれにせよ、今の現状として公認会計士として働きたいが、勉強が進んでいない。そこに苦痛が伴っています。もしかしたら、勉強が進んでいって苦痛は消え、やりがいを感じ始めるかもしれないが。。というか頑張ったら負けみたいな感情もどっかにあります。頑張っているという認識がある状況をかえないと、人ってなかなか続かないのではとも考えます。
「頑張って」と言われるのが嫌な理由でよく聞くのが「もう頑張ってるのになんでわざわざ言うのか」、こんな感じのをよく聞きます。でも今までその理由も何だかしっくりきませんでした。文章に今回起こしたことで何となく理由がつかめた気がします
『自分が納得しないで人からやらされているようで、腹が立つから。』
まだまだ詰めようと思えば詰めれるテーマですがそれは目的ではないのでここまで。
これから頑張るぞー