私も夫婦の危機を乗り越えたからこその今があるのだけれど
私たち夫婦は再構築をしようと互いに決めて、そこに向かったことはなかった
「子どもたちが成人したら離婚する」
これが私たちがした約束だった
だから当時は離婚することを前提としての日々を過ごしていた
どうせ離婚するんだからと半ば投げやりな気持ちもあり
旦那のことは気にせず生活していた
私は旦那に頼ることなく生きていくための環境を着々と整えていった
サレ妻さんのブログで
やり直そうと話し合い、約束をしたのに
旦那さんの生活が変わらなかったり水面下などで踏みにじらている様子を見ると
何故そんなにされてまで夫婦を続けるのだろうと思ってしまう
離婚を言い渡したのにチャンスを与えてしまったり
離婚を決めたのに今まで通りの生活をするのに努めたり
離婚したいと言ったのに日常に戻ったり
それではシタ夫に、どうせ離婚にはならないと余裕を与えてしまうことになる
そんなシタ夫が変わろうとするわけがない
そういうシタ夫たちは本当の意味での後悔もしていないのでしょうね
不倫して責められたり面倒な事態が起きてしまったことを後悔しているだけで
奥さんを傷つけたことを後悔しているわけではないから気持ちに寄り添うこともなく
自分も被害者かのように振る舞っている
そして夫婦の仲が拗れているのに子どもの前や義両親の前では取り繕ってくれる奥さんを見て
別に今のままでもいいやと、危機感なんて感じるはずがない
私にはいつでも離婚する覚悟はある
でも、してあげないだけ
子どものためにしないだけと言う人がいる
離婚しないのは自分のためでもあるのに、それも認めることができない
それを認めないから、どう過ごすのが賢明なのかも考えられずに旦那さんとの泥仕合を続ける
ブログを吐き出しの場だとしているサレ妻さんがいるけれど、それは旦那さんに伝えるべきことではないのだろうか
起きたことの記録、日記、気持ちの整理は必要だと思う
そうではなく、ここで愚痴っているだけでは何も変わらない
話が通じない旦那さんを相手に暮らすことを選んでいるのも自分
そして同じことを繰り返し、大切な自分の時間を犠牲にし続けている
やっぱり、そこから抜け出せない人とは考え方が違うのだと思った
自分にその気があれば恋人同士の頃のような関係に戻ることもできる
私にはそんな気はない
元には戻れない
別にどうでもいい
離婚になってもいい
こう思っているうちは変われない
変われないのはシタ夫と一緒
夫婦でいる意味を見出せないのに、その関係を続けて暮らした先に何があるの?
幸せになれるわけがない
そんなシタ夫と生きる道を選んでいるのは、あなた
私は違う
自分が幸せだと感じる道を選んで進んでいく
だから私のブログはこれで終しまい
私は、幸せ