旦那と、また一緒に過ごすことによって

 

もう互いのことが何も分からなくなっているのを思い知らされた

 

最近の旦那が気に入って食べている物

最近よく聞いている曲

私たちと過ごさない時間どこで何をしているのか

どんなところで食事をして何をして遊んでいるのか

何にハマっているのか

 

何年も互いに関わらないような生活をしていたのだから当然のことなのに

 

妻である私が1番旦那のことを知らない

 

それを実感し虚しさが込み上げた

 

 

私たちはどこで間違えてしまったのか

 

これまでを振り返ることが増えた

 

 

旦那は趣味に明け暮れて、自由に出掛けるのが当たり前だった

 

思い返せば子どもたちが自転車に乗れるようになったのは私が教えたから

 

保育園の課題になっていた一輪車、逆上がり、縄跳びも発表の日に子どもが恥をかかないように仕事帰りや休日に私と必死に練習した

 

子どもたちの初めてのキャッチボール、サッカーのパス練習だって私と


 

でもそれは平日は残業で自分の時間をほとんど持てない旦那に休みの日ぐらいは思う存分、趣味と向き合って欲しかったから

 

勝つために体を鍛えて練習を頑張っている、そんなストイックな姿が好きだったから

 

それを支えるために旦那の分も私が1人で家庭や子どもたちと向き合ってきた

 

 

だけど結局その時間は仲間との遊びや女と抱き合うのに使われるようになっていた

 

そう思うと居た堪れない

 

 

そもそも私と旦那では家庭を持つことへの覚悟や向き合い方が違っていたのだ

 

いつまでも独身気分が抜けなかった旦那と自分の時間の全てを家庭や子どもに費やした私

 

それがいけないこと?他人軸?

 

ふざけるな

 

「自分軸になりましょう」

 

それはある程度、子どもの手が離れてからの話

 

幼い子どもを持つ主婦が自分軸では家庭は回らない、子どもは育たない

 

子どもは、いつかは巣立つ

それからいくらでも夫婦の時間は持てる

 

その未来を描ける男性は妻を大切にし、協力して子育てをして家庭を守ることができる夫になれるのだろう

 

 

今、自分が置かれている環境で抱えた不満

 

そこしか見えていなかった旦那と

 

将来を描きながら今を何とか乗り越えようと必死に子育てをする私では上手くいかなくなったのは当然のこと

 

 

自分という人間を支えて共に築き上げてくれた人との関わりは、不倫のようにその瞬間その場所で目の前に見えるだけの関係ではない

 

様々に複雑に絡み合って成り立っていくもの

 

 

私と過ごしてきた過去、家族の思い出

これから先にある将来の2人の姿、子どもたちの未来

 

それらがしっかりと心にあれば気持ちが揺らぐことはなかったはず

 

 

旦那のしたことは許せない

納得のいかない気持ちが強かった

 

知らない人になってしまった旦那への気持ちが戻る気もしなかった

 

 

でも、1度は全てをぶち壊す選択をした旦那が何故か歩み寄ろうとしてくる

 

これを突き放せば私たちはもう2度と元には戻れない

 

 

私も葛藤していた