阪神・淡路大震災から29年
今でも鮮明に覚えてる。
いつものようにベッドに寝ていた。が何故か目が覚めた、するとベッドが跳ね暫くして横に激しく揺れた。
揺れが一旦収まり隣の部屋に寝ている長女3歳と次男1歳を見に行った。
2人は部屋の真ん中で抱き合ってた。
そして再度揺れた。子供2人にはそこでじっとしときと。
そして上の階に住んでいる母と妹を確認し、元旦那の実家とお義姉さんに電話して安否確認。
電話は、その後繋がらなくなった。
5分くらいの間に全ての安否確認。
家を確認すると食器棚が倒れてわやくちゃに。
飼い猫が見当たらない…翌日飼い猫は食器棚の上に座ってた。多分コタツの中に隠れていたのだろう。
揺れた時は暗かった筈なんだけど、窓を開けると前に立ってたお寺の住宅部分とお寺部分が崩れてた。
数時間経つと火の手があちらこちらから上がっていた。
地震当日、菅原市場横のガソリンスタンドが燃えないように長田港からホースを繋いで消火活動する消防隊員の姿があった。
阪神・淡路大震災の時の映像は仮設に移ってから見たような。
震災当時の記憶は今もなおハッキリと覚えてる。
今年元日に起こった能登の地震。
部外者はあれやこれや言うけど、阪神・淡路大震災の時は自衛隊も遅く、救命も死体ばかり
お風呂はお年寄りや子供が喜んでいた。
炊き出しの初日は山口組の人達…
政府は、なんもしてくれんかった。
お見舞金と称するお金は雀の涙程度
避難所とされていた学校の体育館はスペースを区切られることなくごろ寝状態。
体育館以外に教室と……
ペットは飼い主のそばにいた。
現在は岡山にいるから1月17日が来ても忘れている年もある。
だって岡山は阪神・淡路大震災と関係ないから、その日が近づいてもニュースをする訳でもない。
今年能登半島で元日にあった地震のせいか、今年は覚えてた。
Xを見ると政治批判、私からしたら政府が動いてくれるだけいいやんって思う。
陸の孤島になっていた神戸市、西側は完全に通れる道はなく東側もほぼ壊れていた。
ただメディアのヘリが飛ぶばかり。それでも政府は動かなかった。単なる役立たず。その後もお粗末な政府だった。
何十年と家のことをしてくれてた家政婦のおばちゃんがアパートの下敷きになって圧死。
未だに地震の揺れは苦手である。
身体に感じる地震は、あの日のことを思い出すから苦手である。