お姑さんが他界した時、他の従兄弟に電話をして寄島の叔母さんと連絡がつかないと主人が電話で聞き、家に行き役所に行って、現在居る場所を聞いた施設に向かった時。

主人の名前を聞いて「あんたがこのくらいの時にしか会ってない」ようなことを主人に行っていた。

それからお姑さんが他界したことについて涙を流し悲しんでいた。けれどお姑さんの昔話を教えてくれた。

子供の頃に住んでいたとこの話をしてくれた。


2回目に会った時はシャインマスカットをお土産に

シャインマスカットは嬉しいそうにしてた。

後見人さんのこととか不安なことを主人に話してた。

肺炎が出たそうで酸素マスクを付けていた。

歩いたりは出来ないらしくベットに腰掛けて話をしていた。


11月11日の土曜日に会いに行ってきた。

………

………

寝たきりになっていた。

看護師さんが大きな声で起こしてくれた。

けど、痴呆症になっていた。

主人の顔を見ても誰か分からない。

名前を主人が言ったら「あんたがこれくらい」から話が始まった。

何も覚えてなかったけど「あんたのおかあさんが、この間、ぶどうを持ってきてくれた」と。

ぶどうだけは覚えていた。

主人のおかあさんは今年7月に他界してる。

それを伝えに最初であった時に話をしたけど忘れてた。けど、きっと主人や私にお姑さんは着いてきてたんだと思う。お姑さんのお姉さんに会いに。


話の最後に主人が私の作った眼鏡入れを叔母さんに。

3つある内から好きなのを選んで、と言うと「これが良い、綺麗やな」って「私は誰もしてくれなかった」と。



4人兄弟の長女、弟や妹に何かをしてあげても、弟や妹が何かをしてくれる訳では無い。

そして叔母さんは自分の子供がいない。

その時「息子は私の籍に入っていない」と言った。


何度も目を輝かせながら「綺麗やな、綺麗やな」って、帰る時も眺めて言っていた。


叔母さんの寿命や病気の状態は第1キーパーソンじゃないから教えてもらえないらしい。

第1キーパーソンは義理の息子(籍に入っていない)だから主人には、とりあえず義理の息子に連絡をとって話を聞こうって



叔母さんの現在を見た主人はかなりショックだった。

そして行政に怒りをもっていた。



私もショックはショック(;゚Д゚)!


けど主人には、また会いに行った時に「あんたがこれくらい」から話を聞こうよって、行ける時は叔母さんとこに行こうよって

誰も行かないなら私らが行ってあげようよって

最初は思い出さなくても話をしてたら思い出すこともあるやろし、思い出さんかったら、お義母さんの話を教えてもらおうよって


主人に今年の5月くらいに行きたいって何度か言ってて、それは全てダメになって、私はそれが悔いになってる。


叔母さんと知り合えたって縁は、お義母さんの縁。


どんな状態になっても叔母さんは、叔母さん。

頭が覚えてなくても魂が覚えてくれてる。

お義母さんが死んだことは、もう教えなくてもいい、何故なら1度話を聞いて涙を流して悲しんだのだから


一緒に住んでいないのだから1から「あんたが」から始まる話を聞こうよ。

命が尽きる前に少しでも沢山会いに行こうよ。


次に会いに行く時、意識があればいいな。

また何か手作りで叔母さんが喜びそうな小物を持っていこう