あらすじ
女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。……遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも――。圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語(ミステリー)。

ひと言
湊 かなえさんのこの本が以前からあるのは知っていたのですが、いままで読むのが延び延びになっていました。11月に映画化されたことを知って原作本を読もうと借りました。度々使われる「平地に住んでいれば。田所の両親があんなところに家を用意しなければ。今頃は ――。」といったような表記があり、えっ何が起こるの?どうなるの?と惹きつけられどんどん読み進んでいきました。映画の配役も原作にマッチしているように思うので早く観てみたいです。



母性、とは何なのだろう。隣の席の国語教師に辞書を借りて引いてみる。―― 女性が、自分の生んだ子を守り育てようとする、母親としての本能的性質。食事もろくに与えず、子どもから金を奪ってパチンコに通う女にも、この性質が備わっているのだろうか。世間一般には、女、メスには、母性が備わっているのが当然のような扱いをされているが、果たして本当にそうなのだろうか。生まれつき、とりあえず備わってはいるが、環境により、進化したり退化したりしていくものなのだろうか。そうではなく、母性など本来は存在せず、女を家庭に縛り付けるために、男が勝手に作り出し、神聖化させたまやかしの性質を表わす言葉にすぎないのではないか。そのため、社会の中で生きていくに当たり、体裁を取り繕おうとする人間は母性を意識して身につけようとし、取り繕おうとしない人間はそんな言葉の存在すら無視をする。母性は人間の性質として、生まれつき備わっているものではなく、学習により後から形成されていくものなのかもしれない。なのに、大多数の人たちが、最初から備わっているものと勘違いしているため、母性がないと他者から指摘された母親は、学習能力ではなく人格を否定されたような錯覚に陥り、自分はそんな不完全な人間ではなく、間違いなく母性を持ち合わせているのだと証明するために、必死になり、言葉で補おうとする。
愛能(あた)う限り、大切に育ててきた娘 ――。
(第二章 立像の歌)

「本心を知りたいのは母親の方だけど、話したいのは娘の方です」「意識不明の状態らしいが、回復したら、何か、アドバイスしてやりたいことでもあるのか?」「そんな大層なことは言えません。ただ、女には二種類あることを伝えたい、とは思います」「ほう、どんな二種類だ。天使と悪魔か?」「そういう目に見えないものは信じていませんから。もっと簡単な存在、母と娘です」「誰でもわかってることじゃないか」違う。誰でもわかっている、と誤解されていることだ。
「子どもを産んだ女が全員、母親になれるわけではありません。母性なんて、女なら誰にでも備わっているものじゃないし、備わってなくても、子どもは産めるんです。子どもが生まれてからしばらくして、母性が芽生える人もいるはずです。逆に、母性を持ち合わせているにもかかわらず、誰かの娘でいたい、庇護される立場でありたい、と強く願うことにより、無意識のうちに内なる母性を排除してしまう女性もいるんです」「なるほど、おまえのいう母と娘とは、母性を持つ女と持たない女、つてことなんだな。それで、母親が微妙なコメントをしている自殺未遂娘に、万が一、運悪く母性を持たない女の娘として生まれてきたとしても、悲観せずにがんばれ、とでも言ってやりたいのか?」「……そういう、簡単な答えがあったんですね」
(第六章 来るがいい 最後の苦痛よ)

何を聞いても取り乱してはいけない。自分にそう言い聞かせながら、私は座ったままからだの向きをかえ、娘を正面から見つめ返しました。「何かあったの?」笑顔を抑え気味に訊ねると、娘は私から目を逸らすように下を向き、涙をぬぐいながら、込み上げてくる嗚咽を押し殺すように大きく呼吸を繰り返しました。そして、言ったのです。「おばあちゃんが、わたしを助けるために、自殺したって、本当なの?」後頭部を思い切り殴られたかのように、目の前が白くちかちかとまたたき、ひゅっと息を吸い込んだまま、気を失ってしまいそうになりました。心臓が音を立てて鳴り、外界の音が耳の奥に吸い込まれるように消えていき、代わりに、ぱちぱちと火の燃える音が奥の方から蘇り、そこに母の声が聞こえてきました。
お願い、お母さんの言うことを聞いて。わたしは自分が助かるよりも、自分の命が未来に繋がっていく方が嬉しいの。だから。やめてお母さん、そんなことを言わないで。十年以上も前の出来事なのに、まるで、今まさにその場にいるかのような錯覚に捉われました。母の言葉はさらに鮮明に蘇ります。あなたを産んで、お母さんは本当に幸せだった。ありがとう、ね。あなたの愛を今度はあの子に、愛能う限り、大切に育ててあげて。そして、あの光景が ――。母は自らの舌を噛み、命を絶ったのです。私に娘を助けさせるために。私を真の母親にするために。母の命が目の前で消え去った瞬間、音も色も、私の世界から消え去りました。ただ、母の最期の言葉のみが、頭の中をぐるぐるとまわっていただけです。あなたの愛を今度はあの子に、愛能う限り、大切に育ててあげて。あの子、あの子、あの子って誰? しっかりと目を見開くと、正面に娘の顔がありました。「舌を噛んだの?」そうだ、この子のことだ。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」顔をゆがませながら許しを乞う言葉を口にしています。私はこの子を愛さなければならないのだ。今こそ、この子に愛していると伝えなければならないのだ。しかし、声はなかなか出てきません。呼吸の仕方がわからず、のどをあえがせ、えずきながらわずかな空気を吸い込み、娘を強く抱きしめるため、両手をまっすぐ伸ばしました。そして、からだの中に残った空気と一緒に絞り出すように言ったのです。「愛してる」しかし、その思いは娘には伝わらなかったのです。いいえ、伝わったからこそ、自分が私から奪ったものの大きさに気付き、死を以て償おうとしたのかもしれません。
(第六章 来るがいい 最後の苦痛よ)