あらすじ
自信と誇りのもてる日本へ。「日本」という国のかたちが変わろうとしている。保守の姿、対米外交、アジア諸国との関係、社会保障の将来、教育の再生、真のナショナリズムのあり方…その指針を明示する必読の書。


ひと言
安倍元首相が凶弾に倒れられて早3カ月が経つ。9月にご逝去されたエリザベス女王の国葬をTVで観てその葬儀としてのすばらしさに思わず涙がこみ上げてきました。反対が過半数を占める安倍元首相の国葬は…。国葬の決定の仕方には確かに問題はあったとは思いますが、約9年にわたってこの国のために尽くされた故人に哀悼の気持ちを捧げたいと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。この美しい国のためにご尽力いただきほんとうにありがとうございました。(合掌)

「靖国批判」はいつからはじまったか。国家を語るとき、よく出てくるのが靖国参拝問題であり、「A級戦犯」についての議論である。戦後六十年をむかえた二〇〇五年は、とくにはげしかった。靖国問題というと、いまでは中国との外交問題であるかのように思われているが、これはそもそもが国内における政教分離の問題であった。いわゆる「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決(一九七七年)で、「社会の慣習にしたがった儀礼が目的ならば宗教的活動とみなさない」という合憲の判断が下されて以来、参拝自体は合憲と解釈されているといってよい。首相の靖国参拝をめぐって過去にいくっかの国賠訴訟が提起されているが、いずれも原告敗訴で終わっている。政府としては、八五年に藤波孝生官房長官の国会答弁で「戦没者の追悼を目的として、本殿または社頭で一礼する方式で参拝することは、憲法の規定に違反する疑いはない」という見解を示して以来、参拝は合憲という立場をくずしていない。中国とのあいだで靖国が外交問題化したのは、八五年八月十五日、中曾根首相の公式参拝がきっかけである。中曾根参拝の一週間前の八月七日、朝日新聞が次のような記事を載せた。「(靖国参拝問題を)中国は厳しい視線で凝視している」日本の世論がどちらのほうを向いているかについて、つねに関心をはらっている中国政府が、この報道に反応しないわけがなかった。参拝前日の八月十四日、中国外務省のスポ ークスマンは、はじめて公式に、首相の靖国神社の参拝に反対の意思を表明した。「(首相の靖国参拝は)アジア各国の人民の感情を傷つける」というわけである。「A級戦犯が合祀されているから」という話がでたのは、このときだ。「A級戦犯」といういい方自体ヽ正確ではないが、じつは、かれらの御霊が靖国神社に合祀されたのは、それより七年も前の一九七八年、福田内閣のときなのである。その後、大平正芳、鈴木善幸、中曾根康弘と、三代にわたって総理大臣が参拝しているのに、中国はクレームをつけることはなかった。一九七八年に結ばれた日中平和友好条約の一条と三条では、たがいに内政干渉はしない、とうたっている。一国の指導者が、その国のために殉じた人びとにたいして、尊崇の念を表するのは、どこの国でもおこなう行為である。また、その国の伝統や文化にのっとった祈り方があるのも、ごく自然なことであろう。
(第二章 自立する国家)


敗戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)が靖国神社をどうするかを検討するとき、マッカーサー元帥の副官が、駐日バチカン公使代理だったブルーノ・ビッター神父に意見を求めた。すると、神父は、同僚たちと協議してこういったという。
「いかなる国民も、国家のために死んだ人びとにたいして、敬意を払う権利と義務がある。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって、不名誉きわまる汚点となって残るでしょう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない」この言葉からは、信仰の自由と権利にたいする神父の強い意志が伝わってくる。神父の提言もあって、靖国神社は難を逃れた。靖国参拝をめぐる昨今の議論にたいし、アメリカのジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は、次のような趣旨のことを述べている。「米国のアーリントンの国立墓地の一部には、奴隷制を擁護した南軍将兵が埋葬されている。小泉首相の靖国参拝反対の理屈にしたがえば、米国大統領が国立墓地に参拝することは、南軍将兵の霊を悼み、奴隷制を正当化することになってしまう。しかし、大統領も国民の大多数もそうは考えない。南軍将兵が不名誉な目的のための戦いで死んだとみなしながらも、彼らの霊は追悼に値すると考えるのだ。日本の政府や国民が不名誉なことをしたかもしれない人びとを含めて戦争犠牲者の先人に弔意を表することは自然であろう」
(第二章 自立する国家)