あらすじ

蒙古は上陸に失敗していた! 秀吉には奇想天外な戦略があった! 大和には活躍できない理由があった。日本史の3大ミステリーに、映画『アルキメデスの大戦』で戦艦の図面をすべて描いた船舶設計のプロが挑む。リアルな歴史が、「数字」から浮かび上がる。


ひと言

最近は少し新書に凝っていて、面白そうな新書だなぁと思って借りました。秀吉の「中国大返し」に船を使ったという筆者の推測に、なるほどなぁと感心。それでもあの超人的な大返しにはまだまだ多くの疑問が残ります。第3章の戦艦大和は無用の長物だったのか というタイトルの付け方にムッとしましたが、書かれていることには納得。それにしてもおもしろい切り口から歴史を見られる人だなぁと感心しました。

 


I人の兵士が背負う荷物の重さは、食料を除いても鎧、兜、武器などで20kgほどにもなります。もしもこれを船で運ぶことができれば、兵士たちは重荷から解放されて、船坂峠を越えるのも楽になり、行軍による消耗はかなり軽減されるはずです。全軍では荷物の量は食料を除いても20kg×2万で400tにもなりますが、関船が6~8隻あれば積める計算です。これくらいの数なら宇喜多忠家が水軍衆と連携して、備前片上に用意することは可能と思われます。
ここからは筆者の推測の域を出ませんが、もしも中国大返しが海路を利用したものであったとすれば、船に乗ったのは秀吉と、直属の騎馬隊や側近のみで、あとは兵士たちの防具や武器、弾薬などの輸送に使われたと考えるのが現実的ではないかと思われます。軽装になった兵士たちは、船坂峠を越えることはできたと思います。しかし、それでも通説のような高速行軍が可能になったかといえば、やはり多くの問題があり、そうとは言い切れない気がします。
(第2章 秀吉の大返しはなぜ成功したのか)