あらすじ

1938年10月1日。外務書記生・棚倉慎はポーランドの日本大使館に着任。ナチス・ドイツが周辺国へ侵攻の姿勢を見せ、緊張が高まる中、慎はかつて日本を経由し祖国へ帰ったポーランド孤児たちが作った極東青年会と協力、戦争回避に向け奔走する。だが、戦争は勃発、幼き日のポーランド人との思い出を胸に抱く慎は、とある決意を固め…。
(2017年 第4回 高校生直木賞受賞)


ひと言
2月24日のプーチンのウクライナの侵略から明日でちょうど5か月になる。プーチンの蛮行になす術もない西側諸国(NATO)と国連(安保理)そして日本。つい最近 図書館でこの本を見つけました。ドイツとロシア(ベラルーシ)に挟まれ歴史に翻弄され続けた国ポーランド。ポーランド南部にあるアウシュヴィッツ、そこでのホロコーストについては少しは知っていたのですが、恥ずかしながらワルシャワ蜂起については知りませんでした。この本は高校生直木賞に選ばれた作品で、今だからこそ多くの人に読んでもらいたいと思いました。
ちなみにワルシャワ蜂起をネットで調べると、第二次世界大戦中の1944年8月1日から10月2日にかけて行われたポーランド人の反乱である。しかし支援するはずの米英とソ連が連携するどころか足を引っ張りまくったため、ドイツ軍に鎮圧されて失敗。犠牲者を大量に出すだけで終わった。とありました。


「ああ。最も美しいのは紅葉の季節だが、桜の季節も格別だ」「日本人は本当に桜が好きですね。楡を見てまで、桜だと思うなんて。国花だそうですが、なぜそんなに好きなんでしょう」「古来の死生観に合致するからね。それを言うなら、なぜ君たちは柳が好きなんだ?」池の近くには、枝垂れ柳が深緑の葉をやわらかく揺らしている。「柳ですか」つられて柳に視線を向けたヤンは、首を傾げた。「祖国を遠く離れたポーランド人が、祖国の光景としてまっさきに思い浮かべるのが、柳だと聞いた。ワジェンキ公園のショパン像も、柳の下にいるだろう」一九二六年につくられたというショパン像を最初に見た時は、ショパンが天使の翼に守られていると思った。が、大きな翼に見えたものは、じつは風に吹かれる柳の枝葉だった。ショパンは大きな柳の下で物思いに耽るのを好んだという。ウィーンで蜂起の知らせを聞いた時も、やはり柳の下で、祖国に思いを馳せることもあっただろう。「改めて訊かれると、なぜなんでしょうね。美しいですが、墓石の意匠にもよく使われますし、不吉な印象もあるのに」「まさにそこなんじゃないかな」慎の返答に、ヤンは怪訝そうな顔をした。「君たちが柳をことに愛すると聞いて、桜を愛する日本と似ているなと思ったんだ。そういえばナポレオンも、セント・ヘレナ島では柳の下で瞑想するのを好み、死後はその柳の下に埋められたそうだね」「よくご存じですね」「全て父の受け売りだよ。桜も死を想像させる花だ。だがどちらも、暗い印象はないだろう。昔から墓地の象徴である糸杉と比べると、明るくやさしい印象だ。死の重々しさよりも、悼む心や感傷の美しさを際立たせる」
(第二章 柳と桜)

「だからこそ、慎がポーランドという国に行くことを、私はうれしく思う。ロシアとドイツ、オーストリア、周囲の強国に食い荒らされ、地図から消えたことのある国。そうした国から見える世界は、今まで我々が見てきたものとはまるでちがうことだろう。そしておそらくは、それこそが、最も正直な世界の姿なのだと思う」「最も正直な世界、ですか」「人が歩んだ歴史は一つだが、その姿は見る者の数だけ存在する。基本的に歴史は強国によって語られる。呑みこんだ敗者について思いを巡らせる者はあまりいない。呑みこまれた当事者以外はね。そしてその当事者だけが、イデオロギーや利害に関係がない、最も素直な世界を見ることができる」
(第三章 開戦)

一九四三年九月現在、戦況は日本にとって好調とはとうてい言えなかった。前年六月のミッドウェーでの大敗以来、舞いこんでくるのは厳しい情報ばかりだ。今年一月の、ニューギニアのブナでの戦闘を皮切りに、全滅の知らせが相次いでいる。まだ国民には伏せられている事実も多いが、今年五月のアッツ島での全滅は報じられたようだ。玉砕、と大本営は言っていた。全滅ではなく、玉砕。玉となり砕けたと。敗北を、まるで華々しく、美しいもののように。
(第六章 バルカン・ルート)

国を愛する心は、上から植えつけられるものでは断じてない。まして、他国や他の民族への憎悪を糧に培われるものであってはならない。人が持つあらゆる善き感情と同じように、思いやることから始まるのだ。そして信頼と尊敬で、培われていくものなのだ。
(第六章 バルカン・ルート)


レイは怒りをこめて吐き捨てた。「ドイツが負ければ、アウシュヴィッツやトレブリンカの惨状はおのずと明らかになる。だが、このワルシャワ蜂起は、戦争が終われば、なかったことにされるか、事実を極端にねじ曲げられるかのどちらかだ」レイの言葉に、慎は険しい顔で頷いた。イエジにポーランドから出ろと命じられた時、反発したくともできなかった最大の理由がそこだ。ワルシャワ蜂起は、失敗した時点で歴史の闇に葬り去られる可能性がきわめて高い。もしくは、ソ連の美談に利用されるだろう。ソ連軍はいまだ、ヴィスワ川のむこうからいっこうに動く気配はない。彼らはドイツとポーランド、双方が潰し合ってからワルシャワを手に入れるつもりなのだ。そうなれば、AKは確実に解体される。むしろ、安易な英雄思想で多数の市民を犠牲にしたとしてAKを戦犯にしたてあげて処分し、赤軍支配のための人柱にするだろう。蜂起を促したのはモスクワ放送という事実は、都合よく消し去られる。カティンの森のように。ロシア人はそういうことに、とくに長けている。
ドイツ人には憎悪を抱き、ロシア人には嫌悪を感じる。ポーランド人に本能のように染みついたこの感覚を、ドイツ人もロシア人もよく承知している。ソ連は最初から、ポーランドを信用していない。ドイツ同様、たいらげる相手としか認識していないのだ。ワルシャワを自分たちの手に取り戻すために戦った者たちの奮闘は、きっと恥ずべき歴史として封印されてしまう。そのかわり、ソ連の赤軍こそが輝かしきワルシャワの解放者として、称揚されるようになるのだ。
(第七章 革命のエチュード)