あらすじ
明日町こんぺいとう商店街に佇む"さとう"というのれんの掛けられた店「あずかりや」。そこは、何らかの理由から物を預けに来る客人から「1日100円」で物を預かる商売をしている。預かれない物はなく、何でも預かり、期限以内に取りに来なければ、その物は店主のものとなり、早く取りに来ても差額の返金はなし。そういったルールを設け、10年近く営業している。店主は目が見えない青年で、客人のことを声だけで記憶し、日々、点字本を読みながら、小上がりに座布団を敷いて鎮座している。さぁ、今日も一人また一人と思い思いの物を預けに客がやって来る。店主は、物を預かり、奥の部屋へと消えていく・・・。
ひと言
本の裏表紙に次のような言葉が書かれていました。【それは、栃木の本屋さん『うさぎや』から始まった。「この本を一人でも多くの人に読んでほしい!」書店員たちの情熱は、オリジナルカバーやのれん仕掛けとなって結実し。2500冊という驚異の売り上げを記録することになった。】ふと図書館で手にした本でしたが、こういう本との出会いがあるから読書は止められないなぁ と思いました。それから読み終えてすぐ「クリスティ」という自転車を調べてみました。クリスティアーノ・デローザ この自転車のことかどうかはっきりわかりませんがとてもカッコいい自転車でした。
「おとうさん、あれ」そこまで言ってつよしはちゅうちょした。が、思い切ったように言った。「ぼくあの水色の自転車がいいな」すると自転車屋の親父が声をかけた。「あれはクリスティと言って、希少なモデルなんです」紳士は親父を振り返って尋ねた。「クリスティ? 聞いたことないですね。どこのメーカーですか」親父はふたりに近づいて説明する。「会社自体は小さいのです。世界最大手メーカーのトップデザイナーだった男が、奥さんの死をきっかけに会社をやめ、十年もひきこもっていたのですが、五年前にひさしぶりに自転車を作ったんです。個人経営で台数も少ないのですが、これはその最初のモデルです。奥さんの名前が付いています。その後、新しいモデルを発表したため、この旧モデルがなんとかうちに一台回ってきたんです」紳士とつよしは目を輝かせて話を聞いている。俺の経歴に満足がいったようだ。さらに自転車屋の親父は言った。「このモデルは現在日本に一台しかありません。美しいフォルムでしょう?」「売り物ではないんですか?」「売り物ですけど、少し値がはりますので」そう言って親父は電卓を叩き、紳士に見せた。紳士はひゅうっと口笛を吹いた。「これはまた、高いですねえ」そう言って紳士は眉根を寄せ、腕組みをすると、つよしを見た。するとつよしは目をそらし、「ぼく、いいや」と言った。紳士はにこっと笑い、「これをください」と言った。つよしはハッとして父親を見上げ、頬をかあっと赤くした。
(ミスター・クリスティ)
「おたくの社長さんは、緻密なかたですか?」木ノ本のじいさんは、声をひそめ「ええ、かなり」と言った。それから「病的ですな」と付け加えた。「だいたい成功する人間は、気が弱くて慎重なんです。気が弱いからいっぱい調べて、不安だからいっぱい準備して、だからそこそこ成功します。しかし、成功しても心配が続くので、ずっと努力を続けます」
(トロイメライ)
店主の表情がまるで子どもみたいなの。商店街でよく見かける、母に手を引かれて歩く子どものよう。おとなを信頼してすべてをゆだねている。そんな顔をして相沢さんの声に耳を澄ませている。その様子はわたしにとって、衝撃だった。記憶の中で、店主ははじめからおとなだった。冷静沈着で動じないし、すべてに対し公平でやさしく、一面、ひややかだった。確執とか葛藤とか執着とか、そういうねちっこい感情がいっさいなかったのだ。今は違う。『星の王子さま』に夢中だ。そして相沢さんの声に頼り切っている。初めて見る店主の子どもらしい表情。店主はようやく母を得たのだ。ひとは母を得て、初めて子どもになれるのだ。
(店主の恋)
わたしはとぼとぼと商店街を歩いて帰った。あずかりやさんに戻ると、わたしは小上がりにのぼった。店主はわたしに気付くと、白いもやもやの向こうでにっこりと笑った。わたしはその日から、起きている間じゅう店主の顔をながめた。毎日毎日ながめた。もう絶対忘れないくらいにながめたから、見えなくなるのはちっとも怖くなかった。ある朝、世界は匂いと音だけになっていた。一瞬どきっとしたけど、だいじょうぶ。味も感じるし、さわった感じもちゃんとある。なくなったのは光だけ。これで店主と世界が一緒になった。風を感じたとき、のれんが揺れるのを想像できるし、おいしい匂いでごちそうを想像できる。ごちそうはちゃんとおいしいし、トロイメライはぽんぽん飛び跳ねるきれいな玉を想像させてくれる。見えているの。頭の中で、はっきりと、見えている。店主のいる世界に来たら、それは実際の世界よりもほんの少し美しかった。とても平和だし、店主も幸せなのだとわかり、わたしは安心した。そこで待ってるの。わたしも店主も待ってるの。奇跡を待ってる。そんなある日のこと。のれんが揺れた。そして石鹸の匂いがした。わたしと店主は同時に石鹸さんを見た。
(エピローグ)