あらすじ

織田信長の二女、冬。その器量の良さ故に、父親に格別に遇され、周囲の女たちの嫉妬に翻弄される。戦国の世では、男は戦を行い、熾烈に覇権を争い、女は武器を持たずに、心の刃を研ぎすまし、苛烈な“女いくさ”を仕掛けあう。その渦中にあって、冬は父への敬慕の念と、名将の夫・蒲生氏郷へのひたむきな愛情を胸に、乱世を生き抜いてゆく。自ら運命を切り開いた女性の数奇な生涯を辿る歴史長編。

 

ひと言

信長の長女 徳姫【五徳(おごとく) 不運の家康嫡男の松平信康の正室 】についてはドラマ等で取り上げられたこともあり少しは知っていたのですが、次女の冬姫【蒲生氏郷の正室 相応院】のことは恥ずかしながら全くと言っていいほど知らなかったので勉強になりました。
ウィキペディアでは『冬姫(ふゆひめ)の名がしばしば伝記や小説などで採用されているが、この典拠は不明である。和田裕弘は「通常、この姫の名前を『冬姫』とするが、『永禄十二年冬姫』を嫁がせたという記述を誤読したものともいわれる。永禄十二年に『冬姫』が嫁したのではなく、永禄十二年の冬に(信長の)姫が嫁したと解すべきというものである。従うべきであろう。」と述べている』とありました。
冬姫が信長の正室 帰蝶の娘だということや、「金ヶ崎の戦い」の逸話としてお市の方が両端を紐で結んだ小豆袋を信長に送り長政の裏切りを知らせたと思っていましたが、お市が薬で操られていたとは etc…(ウィキペディアでは後世の創作と書いてあるものもあり)。ほんまかいな。こちらが真実?と思わせてくれる箇所も随所にあり、楽しく読ませてもらいました。
 
 
帰蝶は表情をやわらげて冬姫を見つめた。 「冬殿も存じておられよう。わが父道三は、わらわにとって異腹の兄義龍殿と争い、非業の死を遂げられた。そのおり、信長殿に美濃一国の譲り状を送ってこられたが、父上の真意は、美濃をわらわに譲りたいということであった」 帰蝶は淡々と話した。「わらわは、信長殿に美濃を奪い取っていただきたいと思った。だが、それは亡き父の仇を討ちたいということだけではなかった。父の望みを果たしたいと願ったからでもあったのじゃ。冬殿、おわかりになられようか」 見つめられて、冬姫は首を横に振った。 「父道三は成りあがって美濃の国主となったが、それは血筋、家柄だけで守護大名が国を治めるのが許せなかったからじゃ。力ある者によって、世を正さなければならぬと父上は思っておられた。天正とは、わが父の望みであった」 それを知っていたからこそ、父信長は改元が許されたことを真っ先に帰蝶に伝えた。信長と帰蝶はそれほど強い絆で結ばれていたのだ。しかし、それならばなぜ、信長と帰蝶の間柄は冷めきっているように見えたのだろうか。 「冬殿は、わらわと信長殿の間柄に不審の念を持たれたのであろう。どうして仲睦まじくいたさぬのか、とな」 「さようなことは ――」 冬姫は言葉を呑み込んだ。信長にそれほどの思いがあるのなら、なぜ鍋の方を寵愛してきたのだろう。 「わらわは、信長殿に美濃を取ってもらう以上、子は持たぬと決めたのじゃ」 冬姫は胸を突かれた。 「わが母小見の方は、光秀と同じ美濃の明智一族の出であった。明智は美濃の国主であった土岐家の支流じゃ。美濃において土岐家の血は強い。わが兄義龍殿が父道三を討ったのも、土岐家の遺臣たちが押し立てたがゆえのことであった。わらわが子を産めば、土岐家の遺臣たちがわらわの子を押し立てて、信長殿を討とうとするであろう。父道三の非業の死が繰り返されることになるやも知れぬ」 「それで、御子を持たれなかったのですか」 鍋の方が顔をあげた。どのような事情があったにせよ、自分は信長の子を産んだのだ。それが何よりの絆ではないか、と言いたげだった。 帰蝶は哀しげに微笑んだ。 「子を持たぬとは、公にせぬということじゃ。信長殿は永禄二年に京に上られたことがある。美濃攻めが進んでいることを将軍足利義輝様に奏上するためであった。上洛して御所に参上したのは二月二日であった。その時、わらわもともに上洛した。身龍っておったが、尾張で産むわけにはいかなかった。京に至る前の一月に、近江の成菩提院にて産むことができた。凍てつく寒さの中で生まれたゆえ、信長殿は冬と名づけられた。そのおり、住持が仏壇に水晶の数珠を置き、赤子の無事な成長を祈願してくだされた。わらわも懸命に心をこめて祈った。どうか、この子をお守りくださいと」
冬姫は驚きのあまり声を出せなかった。 帰蝶様こそが、わたしの母上なのか ――― 冬姫がいつも肌身離さずにいる水晶の数珠は、成菩提院で帰蝶が祈りを込めてくれたものだったのだ。 帰蝶は冬姫を見つめたまま言葉を続けた。 「されど、わが子であることは明かすわけにはいかなかったのじゃ。それゆえ、美濃の土豪の妻であったいおに預け、生まれ年も偽って育てさせた。わらわはいつも遠くから見守るだけであった」 帰蝶の言葉は鍋の方を震揺させた。冬姫が帰蝶の産んだ娘だとすれば、唯一の正室の子である。さらには、支流とはいえ美濃の国主の血を引いているとも言えるのだ。そのことが公になれば、織田家に属した美濃衆は冬姫を真の主筋だと思うだろう。だからこそ、信長は冬姫を近江の豪族である蒲生家に嫁がせ、争乱が起きないようにしたのかもしれない。
(天女舞)
 
吉野が桜の名所とされるのは、役の行者が金峯山寺を開く時、蔵王権現を桜の木に刻んだことに始まるといわれる。その後、信者たちが神木である桜の苗木を奉納し続け、吉野川の〈六田の渡し〉から、天峰連峰にいたるまで、山容を這い登るように爛漫と咲き誇る雄大にして華麗な景色となった。山裾から頂上に向かって下千本、中千本、上千本、奥千本などと言い習わされている。
(花嵐)