あらすじ
長崎にある西洋医学伝習所で蘭学を学ぶ夫・亮を追い、弟・誠之助と彼を慕う千沙と共に福岡から移り住んだ鍼灸医の菜摘。女だてらに腕を買われて奉行所の御雇医となり、長崎での生活に馴染みだしたところに、福岡から横目付の田代甚五郎が訪ねてきた。なんと千沙の姉・佐奈が不義密通の末、夫を毒殺し、逃亡したらしい。さらに尊皇攘夷を唱え脱藩した密通相手の男を追い、長崎に逃げ込んだという。信じられない思いを抱きながらも、菜摘は奉行所の女牢で、武家の妻女らしき身なりの女に心あたりを感じる。だが、その女は、腹に子を宿していた。
 
ひと言
私の好きな葉室 麟さんの本で、年末お伊勢さんにお礼参りに行く電車の中で読みました。いつもは気になったフレーズに付箋を貼りながら読んでいくのですが、けっこう読みやすく内容も少し軽めなので、読み終えた後、付箋がほとんどない(付箋の箇所を読み直しても、わざわざこのブログに書き留めるほどのものもなく…)あれ、困ったぞ。ということで最後の時雨堂を書き残すことにしました。
 
菜摘はその後も長崎で鍼治療を行う町医として働き続けた。その仕事を千沙と誠之助か手伝い、たまに亮も患者を診ることがあった。 そして長崎奉行の岡部長常から、 「町医者として看板を上げてはどうだ」 と言われたのを機会に、―― 時雨堂 という看板を門に掲げることにした。亮に医者の看板を上げる話をすると、 「時雨とは、ほどよい時に降る雨のことだという。医者は早すぎても遅すぎてもいかん。ちょうどよいおり、病に苫しむひとを癒す雨でなければならんからな」 と言ったからだ。 看板の文字は長常が書いてくれた。できあがった看板を誠之助が門に掲げると、千沙が嘆声を発した。 「まことによい名ですね」 誠之助も看板を見上げて、 「だれもが困ったおりに、助けの手が来て欲しいと願うでしょうからね」 とつぶやいた。 亮はうなずく。「わたしたちも、時雨のようにひとを助けられたらいいのだが」 亮の言葉を聞きながら、菜摘は佐奈のことを思った。 佐奈は苦しい思いに耐え忍んで、ようやく平野次郎という時雨に出会えたのではなかったか。 ひとは苦難の中にあっても、負けずに進み続けるならば、やがて天から慈雨が降り注ぐのだ、と茶摘は思った。 よく晴れた日だった。菜摘は青空を見上げた。 風にのって潮鳴りが聞こえてくる。
(二十五)