あらすじ
舞台は文政13年(1830年)の京都。年若くして活花の名手と評判の高い少年僧・胤舜(いんしゅん)は、ある理由から父母と別れ、大覚寺で修行に励む。「昔を忘れる花を活けてほしい」「亡くなった弟のような花を」「闇の中で花を活けよ」……次から次へと出される難題に、胤舜は、少年のまっすぐな心で挑んでいく。歴史、能、和歌にまつわる、あるいは生まれたままの、さまざまな花の姿を追い求め、繊細な感受性を持つ少年僧が、母を想い、父と対決していくうちに成長をとげていく、美しい物語。
 
ひと言
京都 嵯峨野の風景を思い出しながら読みました。なかでも祇王寺 なつかしいなぁ。大学生のときに行ったきりで、もうかれこれ40年前になります。苔と青もみじがとても感動的に美しかったのを思い出しました。おばあさんが平家物語を語ってくれてたことも…。直指庵にも行ったなぁ。この本を読みながら、もう心は嵯峨野に飛んで行ってしまって、今度 そうだ、嵯峨野行こう。

広甫は厳しい目で胤舜を見つめた。 「花を活けるおりには、無念無想であるにこしたことはないが、ひとが無になるとは、何もないということではない。ただひとつ、無くしてはならぬ思いを胸に抱くがゆえに、ほかのものが無くなる。生きておる無とはそのようなものだ。そなたのは形の美しさばかりがあって心が無いという無だ」
(忘れ花)
 
「これが昔を忘れる花なのですね」 萩尾が訊いた。 胤舜は手をつかえ、頭を下げて答えた。 「ひとは忘れようとすればするほど、思い出してしまうものではないかと思います。それよりもただひとつのよき思い出を胸に抱いているほうが、思い出さずにすむのではないでしょうか。忘れるとはそのようなことではないか、とわたしは思います」 「昔の思い出を大切にせよと」 萩尾は涙ぐみ、手で瞼を抑えた。
(忘れ花)
 
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃
如月の望月の頃とは二月十五日(新暦で三月半ば過ぎ)のことだ。 この日は釈迦の入寂の日でもあるとされるから、願わくば、お釈迦様と仏縁を得て、桜が咲き誇るころに西方浄土に旅立ちたいと読める。だが、桜の時期としては、やや早いのだ。 このため、この花とは梅なのではないかという見方もあるが、西行は桜の和歌を多く作っており、そもそも和歌で花と言えば、桜のことなのだ。だとすると、西行は桜の盛りではない時期をなぜ、わざわざ選んだのだろう。しかも建久元年(一一九〇)、河内の弘川寺で亡くなる。享年七十三歳だった。奇しくも没したのは二月十六日、和歌に詠んだ二月十五日と一日違いであり、――望月の頃を十五日ごろとするならば、まさに和歌通りに生を終えたことになる。……。……。
翌日、胤舜は大覚寺の本堂で桜を活けた。 広甫が前に座り、立甫や祐甫、楼甫ら兄弟子たちも居並んでいる。本堂の隅に源助もひかえていた。 胤舜は白磁の壷に桜の一枝だけを活けた。桜はまだ花弁が開いていない、―― 蕾 だった。広甫はじっくりと桜の蕾を見てから、 「これが西行法師の桜だと言うのだな」 「さようでございます。二月の望月のころ、まだ桜は満開ではございません。西行さまが見たかったのは、これから開こうとする桜のいのちではなかったかと思います。そのもとでならば、安心して旅立つことができると思われたのではないでしょうか」 胤舜は静かに言った。
(西行桜)