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あらすじ
結婚三年目、三十歳という若さで、朋子は逝った。あまりにもあっけない別れ方だった。男手一つで娘・美紀を育てようと決めた「僕」。初登園から小学校卒業までの足取りを季節のうつろいとともに切り取る、「のこされた人たち」の成長の物語。

 

ひと言
最近、ちょっとしたことにイライラしたり…。アラ還と言われる歳になっているのに、自分がほんとうにイヤになることがあります。そういうときに読みたくなるのが大好きな重松 清さんの本。図書館で見つけ「あっ、これ読んだことがない」とうれしくなって借りました。
重松さんの本を読んだ後は、いまよりも、もっと優しくなって、生きることに一所懸命になって、そういうふうに一所懸命に生きてるひとたちのことも、ちゃんと尊敬して、愛して、愛されて …… 自分もそんなふうになりたい、なってほしいと思いながら本を閉じました。
重松さん、いつも素敵な本をありがとうございました。(感謝)

 

 

 

遊んでほしくてもかまってもらえないときかある。抱っこしてほしくても、「ちょっと待っててね」と言われて、いつまでたってもケロ先生の体は空かずに、そのまま、というときもある。 「すみません、わたしの気配りっていうか、優しさが足りなかったんです」 「いや、でも …… それは他の子も同じなんですから …… 美紀のほうがワガママだったんだと ……」 僕の言葉をさえぎって、ケロ先生は「同じでも、違うんですよ」と言った。顔は笑っていたが、声は、ぴしゃりと耳に響いた。「他の子は夕方になったらママが迎えに来てくれます。家に帰れば、いくらでも甘えたり抱っこしてもらったり、遊んでもらったりできるんです。保育園は友だちと遊ぶ場所で、ママに抱っこしてもらう場所はウチなんです。でも …… 美紀ちゃんにとっては、保育園が、抱っこしてもらえる場所なんです」 僕は思わずうつむいてしまう。 ケロ先生は「あ、でも、パパが悪いんじゃないですよ」と言った。「美紀ちゃんも、パパにいつも抱っこしてもらってる、って言ってました」でもね ―― と、頬をゆるめてつづげた。 「パパの抱っこって、いそがしい、って」 わかる。 うつむいた顔を上げた僕は、「そうなんですよ」と認めた。 僕の抱っこは、美紀の寂しさを包み込むためのものではない。マンションの廊下を歩くとき、浴槽から洗い場に出るとき、リビングから布団を並べて敷いた和室に移るとき、混み合ったショッピングセンターで買い物をするとき ―― 美紀のペースに合わせると時間かかかってしまうから、抱っこする。手をつないで歩かせると危ないから、抱っこする。さっと抱き上げて、せかせかと動いて、ぱっと下ろす。それが僕の抱っこだ。 「な―んにもしない抱っこの時間も、子どもには楽しいんですよね。ペターってくっついて、お尻を支えてもらって、頭とか撫でてもらったりして、ぼ―っとして指でもしゃぶってるうちに寝ちゃう …… そういう抱っこも、子どもは大好きなんです」
(ケロ先生 5)

 

 

 

最後に市川さんが、「とっておきの話なんです」と立ち上がった。 六年生の秋、朋子の描いた絵が、市の絵画コンクールで入選した。夏休みに家族で出かけた伊豆旅行を描いた絵だった。そこまではみんな ―― 僕だって知っている。横浜の実家には賞状と一緒に、その絵も額に入れて飾ってある。 だか、市川さんの話には、誰も知らないつづきがあった。「その旅行のとき、途中でカメラが壊れちゃって、写真がぜんぶダメになっちゃったんですよね? で、家族そろって旅行に行くなんて何年に一度しかないし、お父さんの仕事が忙しいから、もうこれが最後かもしれないから、いつでもお父さんやお母さんが旅行のことを思いだせるように、写真のかわりにがんばって絵を描いたんだ、って……」 義母がハンカチを目元にあてた。バカ、泣くな、と小声で義母を叱った義父は、市川さんに深々と一礼したあと、しばらく顔を上げなかった。
(サンタ グランバ 5)

 

 

「健一くん」表情はおだやかだったが、声は、ぴしゃりと強く響いた。ビジネスの世界で現役だった頃 ――「鬼の村松」と呼ばれていた頃の面影が、一瞬、よみがえった。 「他人事みたいに言うなよ」 「……そんなつもりはないんですが」 「だっていま、きみはなんて言った? つらいんだと思う、って …… そうじゃないだろ。美紀ちゃんのつらさをのんきに想像なんてしてる場合じゃないだろ」 形だけうなずいてはみたが、言いたいことがよくわからない。義母も、なにを言いだすんだろう、というふうに義父の横顔をうかがっていた。 義父はおだやかな表情のままつづけた。 「美紀ちゃんがつらいんだったら、きみもつらいんだ。親っていうのはそういうものだろ。子どもが悲しんでるとか苦しんでるとか、外から見るな。子どもが悲しんでるときは親も悲しいんだし、子どもが苦しんでるときには、親だって……へたすりゃ、親のほうがもっと苦しいんだ。そうだろ? そうじゃなかったら嘘だろう、違うか?」 僕をじっと見つめる。 「俺はつらいぞ、いま。美紀ちゃんよりも、健一くんよりも、俺がいちばんつらいぞ。なんでだか、わかるか」 僕は答えない。それは僕が答えてはならないことだった。「俺は …… 美紀ちゃんのじいさんで、朋子の親父で……血はつながってなくても、きみの親父だからだ」 ほんとうのお父さんには叱られるかもしれないけどな、と少しだけまなざしと口調をゆるめ、「でも」とつづけた。「きみは、俺の息子だ。そう思わせてくれ」 「……はい」 「息子が自分の苦しみを他人事のように言って、孫の苦しみを遠くから見ているようなモノの言い方をするのは、親父としてゆるせないよ、やっぱり」「……すみません」「謝ることじゃない。考えることだ。考えるより、なにか動くことだよ、そうだろ?」 義父は僕のグラスにビールを足して、「最初で最後の親父の説教だ」と笑った。
(ホップ、ステップ 4)

 

 

「会いたがってるんです、おじいちゃんに」 「会ってやってください」 「つらい思い出を増やすのはかわいそうだろう」 「つらくても …… たいせつな思い出になります」 僕たちはそうやって生きてきたのだ。 僕の胸の奥にはずっと、朋子を亡くした悲しみがあった。美紀はママのいない寂しさと一緒に大きくなった。 悲しみや寂しさを早く消し去りたいと思っていたのは、いつ頃までだっただろう。いまは違う。悲しみや寂しさは、消し去ったり乗り越えたりするものではなく、付き合っていくものなのだと ―― 誰かが、というのではなく、僕たちが生きてきた日々が、教えてくれた。 悲しみを胸に抱いたまま生きていくのは、決して悲しいことではない。そのひとがいないという寂しさを感じる瞬間は、そのひとのいない寂しさすら忘れてしまった瞬間よりも、ほんとうは幸せなのかもしれない。うまく伝えられただろうか。自信はなかったが、訥々(とつとつ)と、何度も言葉に迷って、つっかえながら、話をつづけた。
朋子は僕に、楽しかった思い出と、美紀というかけがえのない命と、悲しみをのこしてくれた。若い頃は、楽しかった思い出が美紀を育てる支えだと思っていた。だが、いま、僕は思うのだ。朋子が僕にのこしてくれた中で最もたいせつなものは、むしろ、悲しみだったのかもしれない。僕は美紀を育てながら、何度も何度も繰り返し、自分では気づかないうちに胸の奥の悲しみにそっと触れて、そこから力をもらってきたのかもしれない。だとすれば、僕が男手一つで美紀を育てたというのは嘘だ。朋子もずっと、一緒に、美紀を育ててくれたのだ。 「美紀はこれから、おじいちゃんとのお別れを思いだすたびにつらくなって、悲しくなって、寂しくなると思います」 「…… 忘れるさ、すぐに」 「忘れません」 強く言った。義父は、わかったわかった、と苦笑交じりに目をつぶる。 「でも、つらい思い出に触れるたびに …… 美紀は、優しくなってくれると思います。いまよりももっと優しくなって、生きることに一所懸命になって、そういうふうに一所懸命に生きてるひとたちのことも、ちゃんと尊敬して、愛して、愛されて …… そんなおとなになってくれると思うんです」 義父は目をつぶったまま、なにも言わない。「僕たちと一緒に、これからもずっと、美紀を育ててやってください」閉じたまぶたの隙間に、かすかに光るものが見えた。
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