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あらすじ
かつて一刀流道場の四天王と謳われた勘定方の瓜生新兵衛は、上役の不正を訴え藩を追われた。18年後、妻・篠と死に別れて帰藩した新兵衛が目の当たりにしたのは、藩主代替わりに伴う側用人と家老の対立と藩内に隠された秘密だった。散る椿は、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていけるもの たとえこの世を去ろうとも、ひとの想いは深く生き続ける。秘めた想いを胸に、誠実に生きようと葛藤する人々を描いた感動長編!

 

ひと言
岡田 准一主演の「散り椿」がもうすぐ上映されると知ってすぐに図書館に予約を入れました。読み終えて、ネットで中江有里さんが文庫本の巻末に書かれた解説を見つけました。
人が人を想うとき、ただ素直に気持ちを伝えられたらどれほど楽だろう。誠実であろうとしてもそうはなれないのと同じく、人を想う気持ちを伝えようとしても、なかなかうまくゆかない。自分の気持ちを誰かに伝えることによって、相手の運命を変えてしまうことがあるからだ。勝手な想像だが、本書の真の主人公は篠ではないだろうか。

 

 

学生時代に京都まで通学していて、もうすぐ還暦になる今でも、年に数回は大好きな京都へ毎年のように行っているのに、京都の白梅町、大将軍にある「地蔵院(椿寺)」は行ったことがないし、知りませんでした。

 

 

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次の春か、その次の春には是非「地蔵院」の五色八重散椿を観に行こうと思いました。映画も早く観に行きたいなぁ。
【10.14 追記】
1日の映画の日まで待てなくて、レイトショー(1100円)を観に行ってきました。この本とは微妙に違いますが、スッキリした内容の脚本になっていて、本を読んでいない人にもわかりやすいです。また立山の自然を始めとする木村大作さんの映像がとても素晴らしく、時代劇というよりとても素敵なラブストーリーに仕上がっていて何度もうるうるさせられました。期待を裏切らないとても素敵な映画でした♪

 

 

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葉室 麟さん素敵な本をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

「散り椿か」 男はため息をついた。 ふたりがいる京の一条通り西大路東入ル、地蔵院の本堂脇にある椿は花が落ちず、花弁が一片ずつ散っていく。このため、―― 散り椿 と呼ばれていた。 地蔵院は神亀三年(七二六)、行基が摂津に創建し、天正年間、豊臣秀吉の命によって京に移された。境内には秀吉か寄進した〈五色ハ重散椿〉がある。秀吉が朝鮮へ出兵した際に加藤清正が持ち帰ったものだという。普通、椿は花ごとぽとりと落ちることから、首が落ちる様を思わせるとして武家に嫌われる。 散り椿は花びらが一片一片散っていく。地蔵院の散り椿は、一木に白から紅までさまざま咲き分け、あでやかである。
(序)

 

 

「お主に見てもらいたいものがある」 と言い、縁側の沓脱ぎ石から座敷に上がった。間もなく、一通の文を手に戻ってきた采女を見て、新兵衛は訝しげな顔をした。 「なんだ、これは ―― 」 采女が黙って差し出す文を受け取りながら、新兵衛は声を震わせた。篠が采女に宛てた文に違いない。 「わしとの縁組が破談になった時、わしが送った文への返状として篠殿からいただいたものだ」 恐る恐る新兵衛は文を開いた。そこには、

 

 

くもり日の影としなれる我なれば 目にこそ見えね身をばはなれず

 

 

と和歌が書かれていた。 「最初、わしはその歌の意を、もはや曇り日の影のごとく、自分は見えない身となったが、心はわしから離れないということだ、と思い込んでいた。しかし、それは、どうも違ったようだ」 と言う采女に、新兵衛は文に目を落としたまま答えた。 「わしには、お主が思った通りにしか受け取れぬぞ」「そうではない。篠殿はお主の妻としての想いを歌に託したのだ。曇り日の影のごとく、目には見えなくとも、決してお主と離れずについていくつもりだ、それゆえ、気持は受け入れられぬ、とわしに告げたのだと思う」「…………」 「先日、里美殿がこの屋敷に参られた時、わしはそのことにようやく気づいた」 「どういうことだ」 真剣な面持ちで新兵衛は質した。 「母上は、里美殿に篠殿が憑いていると言っておびえられた。里美殿もまた、篠殿が傍にいるような気がすると言われたのだ。そして、わしも ――」 采女は、後の言葉を呑み込んだ。あの夜、確かに里美の傍に佇む篠の姿か見えた。 「お主、篠を見たのか」 新兵衛の問いに、采女は頭を振った。 「幻を見たのだと思う。だが、わしはその時にあの和歌の意味を悟ったのだ。形影相伴うというではないか。仲の良い夫婦は、睦まじく常に寄り添うものだ。篠殿の心はあのころ、すでにお主に寄り添っていた。それが、わしにはわからなかった」 采女は自嘲するようにつぶやいた。 「さように言われても、わしにはそうは思えぬ」 「新兵衛、お主は篠殿の後を追って死ぬつもりなのではないか」 「…………」 「やはり、そうか。篠殿は、お主を死なせたくなかった。だからこそ、わしのことを話し、助けてやれと言われたのだ」 「まさか、そのような ――」「篠殿は、お主を生かすために心にもないことを言わねばならなかったのだぞ。その辛さが、お主にはわからんのか」 采女の目には涙があふれていた。
(迷路)

 

 

「もう大丈夫でござる」 という声が聞こえて、篠が恐る恐る縁側に顔を出すと、新兵衛はにこりと白い歯を見せて笑った。その笑顔を見た瞬間、篠は、(この方とともに生きよう) となぜか素直に思えた。 篠は心をときめかしたわけではなかった。 だか、蜂を退治した新兵衛の顔を見た時、喉が渇いておられるのではないかと思い、お茶を差し上げねばと自然に体が動いていた。 さらに、どこか蜂に剌されはしなかっただろうか、お召し物が汚れはしなかったか、と身の回りのことを気遣っていた。 いつの間にか新兵衛のことをあれこれ心配している自分の心に篠は驚いた。そして、 (わたしがしっかりこのひとを見守らねば) と思った。新兵衛はこれからも向こう見ずに蜂退治のようなことをするに違いない。そんな時には自分が傍についていなければ、と案じられる。 采女に < くもり日の影としなれる ―― > の和歌を返状として送ったのは、その翌日のことだった。 曇りの日の影が見えないように、自分は采女から遠い存在になったのだ、と思った。それだけに、采女がその後、縁談を断り続けていると耳にするたび、心苦しかった。 藩から追放になった時、 「身の落ち着き先か決まってから、そなたを呼び寄せようと思う。それまで里に戻ってはどうか」 と新兵衛は言ったが、篠はともに国を出ることを選んだ。そのころ坂下の家は妹の里美が婿に迎えた源之進が継いでいたが、そのせいではなかった。采女への気遣いもあったが、何より、新兵衛に影のごとく添って生きようと心に決めていたからだ。 「それでよいのか」新兵衛がためらいがちに訊くと、篠は笑って答えた。 「よろしゅうございますとも。苦しい時もともに歩んでこその夫婦ではありませぬか」 国許を出てからは苦しい日々が続いた。だが、篠は新兵衛と心がふれあって過ごしていけるだけで満ち足りていた。子供がいないことは寂しかったが、篠が和歌や漢籍を学びたいと言えば、新兵衛はその道を開いてくれた。 京に出てから、篠は病がちではあっても、気分のよい時には『万葉集』などをひも解きつつ心豊かに生きることができたのである。
しかし、自分の寿命が旦夕(たんせき)に迫ったと感じるようになると、日増しに新兵衛の行く末が心にかかってきた。 (このまま朽ち果ててよいひとではない) とは思うものの、新兵衛は無欲なうえに篠とともに生きることを心の支えとしているように見受けられる。 篠がこの世を去った後は、生きる張りを失うのではないだろうか。もしかしたら死を選ぶかもしれない、と篠は恐ろしかった。采女は才を認められ、藩で重く用いられているという。新兵衛もまた、同様に用いられるに足るひとだ、と思う。妻の後を追うような道を歩ませてはならない。 篠は意を決して、新兵衛に願い事があると告げた。自分が死んだら、国許の椿を見に帰って欲しいと頼んだ。そして采女からの文を見せて、采女を助けてやって欲しいと言った。 自分が采女に心を寄せていたと新兵衛に思われるのは身を斬られるように辛かった。だが、そう言わねば新兵衛は決して故郷に戻ろうとしないだろう。篠の話を黙ったまま聞き終えた新兵衛は、しばらくして、「そうであったか。わしは何も知らなかった」 とつぶやいた。 「甲し訳ございませぬ」 篠は胸がつまった。しかし、新兵衛は動揺の色も見せず淡々と応じてくれた。「いや、よいのだ。それよりもひとつだけ訊いておきたいことがあるのだが」 「なんでございましょう」 篠は新兵衛の顔を見つめた。「わしはそなたに苦労ばかりさせて、一度もよい思いをさせたことがなかった。そなたの頼みを果たせたら、褒めてくれるか」 新兵衛の言葉に篠は胸がいっぱいになった。 「お褒めいたしますとも」 篠の目から涙があふれた。 涙を流しながらも、篠は新兵衛に微笑んだ。 (このひとを朽ち果てさせたくないとの思いは、わたしの言い訳ではなかっただろうか) あるいは、新兵衛を世に出したいと願うのは自分の思いあがりなのかもしれない。 新兵衛は自分なりの生き方を恥じることなく貫いてきた。それをいまさら賢(さか)しらに、新兵衛に力を振るってもらいたいと欲するのは、自分に見栄の心があるからではないか。  新兵衛は篠に褒められることしか望んではいない。たとえ世間がどう思おうと、新兵衛は自分らしさを失わないで生きていくに違いない。 そのことは心底わかっていた。だからこそ、新兵衛が世間に容れられなくとも、自分の傍にいてくれるだけで心が満ちていた。 だからいま、自分はただひとつのことを願っているだけなのだ。 新兵衛を死なせたくない、と。 少年のころと変わらず照れ臭そうに笑っていた新兵衛を、縁談が決まると唐突に訪ねてきて詩を吟じた新兵衛を、死なせたくない。 江戸に出てから、苦労を耐え忍んで篠のために生き抜こうとした新兵衛には、自らの命と引き換えてでも生きてもらいたかったのだ。 まことの心と裏腹な言葉を口にしつつ、篠は胸の中で、 「生きてくださいませ、あなた――」 と繰り返していた。 生きて、生き技いてください。 それが、わたしにとっての幸せなのです。あなたが生き抜いてくださるなら、わたしの心もあなたとともにあるはずです。形に添う影のように、いついつまでもあなたの傍に寄り添えることでしょう。 そう願う篠の脳裏に、坂下家の庭に咲いていた椿の花が浮かんでいた。 白、紅の花びらがゆっくりと散っていく。あれは、寂しげな散り方ではなかった。豊かに咲き誇り、時の流れを楽しむが如き散り様だった。 (わたしも、あの椿のように……) 篠は新兵衛に手をさしのべた。 その手を、新兵衛はかけがえのないものを扱うかのように両手で包み込んだ。椿の花か一片、はらりと散った。舞い落ちる花びらを見つめながら、「まことにそうであったろうか」とつぶやく新兵衛に、采女は語りかけた。
「新兵衛、散る椿はな、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていけるのだ。篠殿が、お主に椿の花を見て欲しいと願ったのは、花の傍で再び会えると信じたゆえだろう」
(面影)                         

 

 

里美には篠の気持が痛いほどわかる。 「だから死にはせんと心に決めておるが、ここに留まることもできぬ。わしはすでに散った椿だ。残る椿は藤吾だけでよい。藩の行く末にかけた采女の想いは、藤吾が引き継いでくれるであろう」 新兵衛はそう言うなり、手にした塗笠をかぶった。 里美はうろたえた。新兵衛は本心からここを出ていこうとしているのだ。……。……。
「わたくしの胸の内には姉がおります。姉が新兵衛殿にここに留まっていただきたい、と申しております」 里美はあふれそうになる想いを初めてロにした。 何度も篠の幻影を見るうちに気づいていた。自分にも篠と同じ気持が芽生えているのだと。 篠を思い出すたび、新兵衛を慕う想いが深くなっていった。 新兵衛を託したい、と幻が囁きかけたゆえの想いなのだろうか、と時に戸惑いを覚えたこともあ
ったが、いまは自らの気持だとぱっきり言える。 源之進への想いとは別の、この胸から湧き出る慕情は、篠の心が自分の中に宿ったためばかりではない。 新兵衛とともに生きたい。それがいまの里美の願いだった。 篠に申し訳なく思う気持もあるが、辛く苦しい年月を生き抜いてきた新兵衛にはせめてこの後、幸せな日々を送って欲しいのだ。 篠は微笑んでうなずいてくれるだろうか。 (姉上、わたくしの想いをお許しください) 新兵衛が不意に立ち止まり、振り向いた。塗笠の下に目の表情を隠し、白い歯を見せて笑った。 「里美殿の言われることは、よくわかる。国許に戻ってから、里美殿が篠に見えたことがたびたびあったゆえな」 「ならば ――」 里美は想いを籠めて新兵衛を見つめた。 新兵衛は微笑したままゆっくりと首を横に振って 「だからこそ、出ていかねばならんのだ」 言い終えるや踵を返した。妻へ殉じる想いをひたすらに守ろうとしている新兵衛の背に迷いは感じられなかった。 「また椿の花を見たいとお思いにはなられませぬか」 里美が懸命に言うと、新兵衛は歩みを止め、 「いずれ、そのような日が来るやもしれぬな」 と背を向けたままつぶやいた。 「この屋敷でその日が来るのをお待ちいたしております」 新兵衛は何も答えず、裏木戸から出ていった。里美は後を追えず、袖で顔をおおって立ち尽くした。しばらくの後、はっとした里美が裏木戸から外へ出て新兵衛の姿を捜すが、どこにも人影は見当たらない。
秋の日に照らされた、目に鮮やかな紅葉が、道に影を落とすばかりであった。
(椿散る)