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あらすじ
1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出す。
(2018年本屋大賞ノミネート10作)

 

ひと言
1月18日の2018本屋大賞のノミネート作品が発表になってすぐ図書館に予約を入れた本で、やっと読むことができました。今回は日本人が好きなゴッホに焦点をあてた作品。読み終えて林忠正という人が本当に存在するのか調べましたが、パリで活躍した美術商として実在し、ゴッホとの交流がこの本に書かれたものなのか、これはフィクションなのかわかりませんでしたが、かなり史実に基づいた作品で、この後どうなっていくんだろうと読者をワクワクさせながらグイグイ引っ張っていく いつもながらの原田マハさんの感動のアート小説です。
願わくば、2018本屋大賞は原田さんに取ってもらいたいなぁ。書店員のみなさんよろしくお願いいたします。

 

 

「たゆたえども沈まず――って、知ってるか」 突然のことで、今度は重吉が目を瞬かせた。忠正は、ふっと笑みを目もとに浮かべた。「パリのことだよ」「………パリの?」「そう。……たゆたえども、パリは沈まず」 花の都、パリ。 しかし、昔から、その中心部を流れるセーヌ川か、幾度も氾濫し、街とそこに住む人々を苦しめてきた。 パリの水害は珍しいことではなく、その都度、人々は力を合わせて街を再建した。数十年まえには大きな都市計画が行われ、街の様子はいっそう華やかに、麗しくなったという。 ヨーロッパの、世界の経済と文化の中心地として、絢爛と輝く宝石のごとき都、パリは、しかしながら、いまなお洪水の危険と隣り合わせである。 セーヌが流れている限り、どうしたって水害という魔物から逃れることはできないのだ。 それでも、人々はパリを愛した。愛し続けた。 セーヌで生活をする船乗りたちぱ、ことさらにパリと運命を共にしてきた。セーヌを往来して貨物を運び、漁をし、生きてきた。だからこそ、パリが水害で苦しめられれば、なんとしても救おうと闘った。どんなときであれ、何度でも。  いつしか船乗りたちは、自分たちの船に、いつもつぶやいているまじないの言葉をプレートに書いて掲げるようになった。 ――たゆたえども沈まず。
パリは、いかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。まるで、セーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように。 洪水が起こるたびに、水底に沈んでしまうかのように見えるシテ島は、荒れ狂う波の中にあっても、船のようにたゆたい、決して沈まず、ふたたび船乗りたちの目の前に姿を現す。水害のあと、ことさらに、シテ島は神々しく船乗りたちの目に映った。そうなのだ。それは、パリそのものの姿。 どんなときであれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。 そんな街。 それこそが、パリなのだ。
(1886年 1月 10目 パリ 10区 オートヴィル通り)

 

 

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愛すべきタンギー親父のために、また、画家フィンセントの個性を際立たせるために、テオはこの肖像画を特別なものに仕上げてもらいたいと考えた。 そのためには、アトリエや一般的な室内でポーズをとってもらうんじゃだめだ。この絵を見た人が、タンギー親父とは誰か、フィンセント・ファン・ゴッホとはどういう画家なのか、一目で理解できる特徴を盛り込まなければ。 テオは、ふと、特徴的な背景を演出することを思いついた。フィンセントが愛してやまない絵をタンギーの背景に飾る。フィンセントは、タンギーの肖像を描きつつ、その絵の模写も画中に盛り込むのだ。背景の絵として、何がもっともふさわしいか。――浮世絵以外には考えられなかった。 テオは、早速重古に相談した。自分たちの所有している浮世絵も飾るつもりだが、大柄で見栄えのする浮世絵を、一、二点でいい、「若井・林商会」から借りることはできないか。重吉は、その提案に興奮して、林さんに掛け合ってみると言ってくれた。 そして迎えた、制作の初日――。 「これでどうだい?」 すっかり準備が整った店内に、あらためてタンギーが現れた。つばが少し反り返った麦わら帽子を被っている。フィンセントとテオは、目を見合わせてうなずき合った。 「さあ、どうぞ親父さん。その浮世絵の壁の前にある椅子へ」 テオに促されて、タンギーは粗末なスツールに腰掛けた。その背後には六点の浮世絵が張り出されていた。歌川豊国、歌川広重、そして渓斎英泉。風景画と美人画。はっきりと明瞭な色面、大胆な構図。どれもが一級品の浮世絵である。「まるで日本のミカドのようだな」 浮世絵に囲まれて鎮座するタンギーを眺めて、ひと言、フィンセント、が言った。タンギーもテオも楽しげに笑った。
(1887年 6月上旬 パリ 9区 クローゼル通り)

 

 

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そして――。 箱の中に残された最後の一枚を、テオは取り上げた。なぜだろう、その一枚は特別なものだという予感があった。 息を止めて、包み紙を広げる。現れたのは、星月夜を描いた一枚の絵だった。 明るい、どこまでも明るい夜空。それは、朝を孕んだ夜、暁を待つ夜空だ。 地球を含む星ぼしの自転、その軌跡が白く長くうねり、夜空にうずまく引き波を作っている。太った三日月は煌々と赤く輝き、空を巡る星たちぱ、やがて朝のヴェールの中へと引き込まれていく。
その中にあって、わずかも衰えずに輝きをいや増すただひとつの星、明けの明星。アルピーユの山肌を青く照らし、静かに眠る村落に光を投げかける。 かくも清澄な星月夜、けれどこの絵の真の主人公は、左手にすっくりと立つ糸杉だ。 緑の鎧のごとき枝葉を身にまとい、空に挑んでまっすぐに伸びるその姿は、確かに糸杉だった。けれど、糸杉ではなかった。それは、人間の姿、孤高の画家の姿そのものだった。 孤独な夜を過ごし、やがて明けゆく空のさなかに立つ、ただひとりの人。 ただひとりの画家。 ただひとりの、兄。 テオは、止めていた息を放った。涙があふれ、頬を伝って落ちた。 ――兄さん。……僕は。 僕は、もう長いこと待っていたんだ。……この一枚を。 星月夜の絵を、テオはそっと胸に抱きすくめた。 新鮮な油絵の具のにおいがした。なつかしい兄のにおいだった。
(1890年 5月17日 パリ 12区 リヨン駅)

 

 

「……不思議なものですね」 橋の中ほどに佇んで、暮れなずむ空のさなかにぽつんと浮かび上かっているエッフェル塔を眺めなから、重吉が独り言のようにつぶやいた。
「あの塔、できたばかりの頃は、鉄骨が醜いとか風景が汚されるとか、散々市民に悪態をつかれていたのに、いまじゃもう、あれがなかった頃の風景を思い出せないくらいだ」 「そういうものさ。パリという街は」 忠正が、応えて言った。 「見たことがないものが出てくると、初めのうちは戸惑う。なんだかんだと文句を言う。けれどそのうちに、受け止める」 浮世絵も、印象派も、そうだった。 きっと、いつか、そうなるのだろう。……フィンセント・ファン・ゴッホも。そして、林忠正も。 重吉は、心のうちに念じた。 そうなればいい。いつかきっと、そうなるように。 残陽が光の帯を引いて、川向こうに落ちていく。ずっと遠くの空で、宵の明星が輝き始める。 橋の中ほどに佇むふたりの影が、宵闇に沈んでいく。セーヌは滔々と、とどまることを知らず、橋の下を流れ続けている。
(1891年 5月中旬 パリ 9区 ピガール通り)