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あらすじ
戦後60年の節目に怒濤の400枚で問う。『戦争論』『台湾論』から5年。構想、執筆1年。戦後60年の節目に、大幅書き下ろし、怒濤の400枚で問う問題作。これはゴーマニストから日本人への新しい挑戦状だ!紫外線の中、恐る恐る沖縄に降り立ったゴーマニストは、沖縄の基地、現状を目の当たりにし、やがてその深層に潜む沖縄のアイデンティティと歴史へ足を踏み入れていく。沖縄の戦後史を救ったある政治家の一生、最後に降り立った「神の島」で捧げた祈り…これまでの対立軸に凝り固まったイデオロギーではとうてい立ち向かうことのできない思想的挑戦! しょくん!受けて立てるか!?

 

ひと言
まずゴーマニズムとは傲慢からの造語で、自分の直感と常識を頼りにあえて傲慢をつらぬく、という意味が込められた小林よしのりさんの言葉。沖縄のことを若い人にも読んでもらえるようにと漫画にした小林よしのりさんの本。内容がかなり詳しくて、少し前のページを読み直しながら次に進むという読み方で けっこう時間がかかりました。「屈辱の日」や「コザ騒動」のことは知らなかったので勉強になりました。

 

 

 

米軍は、沖縄を占領統治する際、沖縄人に日本への帰属意識を持たせたくないので、自治政府(自治といっても形式のみ)の名を「琉球政府」とした。その名残で、米国が主導して作ったものには「琉球」の名が、沖縄人が作ったものには「沖縄」の名がついたものが多い。
(第1章 けなげだぜ自衛隊)

 

 

 

1952(昭和27)年4月28日は、サンフランシスコ講和条約の発効により、沖縄が正式に日本から切り離された日。日本が沖縄を見捨てて本土だけ独立した日である。沖縄ではこの日を「屈辱の日」と呼ぶ。
(第1章 けなげだぜ自衛隊)

 

 

思いやり予算とは? 日米地位協定で米側が負担することが明記されているにもかかわらず、日本側が負担している米軍基地の駐留経費。法的根拠のない支出であり、その点を問い質された金丸信防衛庁長官(当時)が、「思いやりが根拠だ」と言ったことから、こう呼ばれる。
(第3章 原宗教から現代の無関心の獄)

 

 

1970(昭和45)年12月20日、米兵が連続して起こした2件の交通事故と、MP(米軍憲兵隊)の威嚇発砲をきっかけに、5000人を超える暴動が発生。「コザ騒動」である。
米兵は1970(昭和45)年、具志川市で女子高生を刺傷し、糸満市で酔っ払い運転の米兵が主婦を車でひき殺し、その米兵は軍法会議で「証拠不十分」で無罪になった。民衆の怒りが臨界に達したその4日後にはまたコザ市で米人乗用車が沖縄人をひき倒し、事故処理中の米軍憲兵隊が被害者を放置して事故車を持ち去ろうとしたため、1000人近い群衆がMPを囲んだ。事態は一旦沈静化したが、米軍憲兵隊が民衆へ威嚇発砲したため、ついに民衆の怒りは爆発した。
(第10章 占領への抵抗は豊かさに負けるか?)

 

 

1953(昭和28)年12月、奄美大島が日本に返還された。だがそれは、沖縄の基地強化という条件と引き換えだった。
(第16章 国旗掲揚は反逆罪だった!)

 

 

戦後の日本の経済成長は、米軍の駐留によって軍事費をGNP1%以下に抑えてきたからだ。アメリカの核の傘のおかげだ。
(最終章 歴史とクニガラ)