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あらすじ
戦後日米外交の焦点となり、今日なお日米関係の棘となっている沖縄問題の原点を、政治・外交史の分野からはじめて包括的に解明した画期的成果。戦後沖縄の運命を決定づけた講和条約第3条とは何であったのか? 信頼の置ける記述により沖縄問題への確かな視点を示す。

 

ひと言
前に読んだエルドリッヂさんの本の中に紹介されていたので、すぐに図書館に予約を入れました。かなり専門的で研究者の人が読むような本で、興味のある箇所以外は端折って読みました。アメリカ人が日本語で書いたとは思えないほど、とても読みやすい文章であることにびっくりでした。

 

 

一九四七年九月一九日、御用掛の寺崎英成は、日本橋三井ビルの三階にあったシーボルドGHQ政治顧問室を訪問した。その目的は、琉球諸島の将来と、米軍による沖縄の軍事占領を継続する必要性に関して天皇の意見を述べることにあった。いわゆる「天皇メッセージ」である。……。
シーボルドの手による会談記録によれば、まず寺崎が、「天皇は、米国が沖縄をはじめ、その他の琉球諸島に対する軍事占領を継続するよう希望している。天皇の意見では、そのような占領はアメリカの利益になり、また、日本を防衛することにもなる、というのである」と切り出した。シーボルドはおそらく、米国が沖縄の占領を継続することに対する日本国民の感情について尋ねたと思われるが寺崎は、つづいて、「天皇が思うに、そうした措置は日本国民の間で広範な賛成を得ることであろう。国民は、ロシアの脅威を恐れているばかりでなく、占領が終わった後に左右両翼の勢力が台頭し、日本の内政に干渉するための根拠としてロシアが利用し得るような『事件』を引き起こすのではないか、と懸念している」と述べた。 さらに、寺崎は、「また、天皇は、沖縄(その他必要とされる諸島)に対する米国の軍事占領は、主権を日本に残したまま、長期 ―― 二五年ないし五〇年またはそれ以上の ―― 租借方式という擬制に基づいて行われるべきであると考えている。天皇によれば、このような占領方式は、米国が琉球諸島に対していかなる恒久的野心ももっていないと日本国民に確信させ、ひいてはこれにより、他の諸国、とりわけソ連や中国による同様の権利の要求を封ずるであろう」と伝えた。 つづいて、話題は米軍駐留の方式をいかにすべきかという問題に移った。「手続きに関しては、寺崎氏は、(沖繩、その他の琉球諸島に対する)『軍事基地権』の取得は、連合国の対日講和条約の一部としてではなく、むしろ米国と日本との二国間租借条約によるべきであるという考えであった。寺崎氏によれば、前者の方式は、押しつけられた講和という色合いが強すぎ、将来、日本国民による好意的理解を危うくする恐れがあるという」。 会談の終わりに、寺崎は、このメッセージをその日のうちにマッカーサーに伝えるようシーボルドに依頼した。
(第5章 日本政府の講和条約準備作業と沖縄の地位に関する見解 1945-1948)