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あらすじ
口紅…それは女性にとって切り離すことの出来ないものだろう。人生の節目節目に立ち会うといってもよい口紅。女性には誰にでも経験がある、口紅を最初に塗った日。晴れがましいような自分が大人の女に一歩足を踏み入れたような、そんな日。最初のデートで勇気を奮い起こすように塗った赤い口紅。胸の奥に大切しまってある思い出のそばにあった、口紅にまつわる短編集。年齢別に描かれる口紅の思い出。初恋、結婚、別離…ドラマはいつも口紅とともに。

 

ひと言
口紅をモチーフにした角田さんの短編集で、途中 上田 義彦さんの写真が効果的に織り込まれて、やっぱり角田さんは内容も文章もいいなぁと思わせてくれるとても素敵な作品でした。贅沢を言えばもう少し長く作品を味わいたかったかなぁ…。
私の口紅の思い出は、10年ほど前 80歳で伯母さんがなくなったとき、その娘さん(私のいとこ)が棺のなかにそっと口紅を入れてあげていたのがとても心に残っています。

 

 

お正月に、春休みに、またこの町で会おうと、私たちは何度も約束したけれど、その約束はきっと果たされない。私たちはこの町を出て、自分を取り巻く新しいことにきっとすぐ夢中になる。忘れてしまう。この町のこと、桜のこと、毎日並んで歩くだけだった恋人のこと。 「あのさ、これ」ふいに森下修が立ち止まり、ナイロンバッグからちいさな紙袋を取り出す。……。テープを剥がし紙袋を開ける。くちべにが一本入っていた。キャップを開けると、桜の色みたいなくちべにだった。先を歩いていく森下修の後ろ姿を見ながら、私はそれを自分のくちびるにぬった。くちべにをぬるのははじめてだった。鏡がないので、似合うのかどうか、私はどんな顔をしているのかどうか、わからなかった。 「ねえ、どう」 ずいぶんと先にいってしまった森下修に向かってどなった。森下修はふりむいて、 「似合うよ」 とどなりかえし、またすぐ背中を見せる。その背中にかけよって思いきり抱きしめて、森下修のつるんとした頬に、額に、いつもかさついているくちびるに、学生服の下の白いシャツに、私のくちびるを押しつけたいような気持ちになった。でもそんなことはせず、私は大またで森下修のあとを歩いた。 
また会おうという、ぜったいに連絡し合おうという、変わるのはよそうという、幾度も交わした私たちの約束は、きっとゆっくり破られていく。私たちにそのつもりがなくても、時間が約束を破ってしまう。だから私、今、ひとつだけ自分自身と約束をする。これだけは破らない。森下修にも時間にも破らせない。 このくちべにをつけて恋はしないよ。このくちべにをつけて、新しく恋をしただれかに会いにいったりしないよ。「ねえ、待ってよ」私は走りはじめる。触れたことのない、抱き合ったことのない、くちびるを重ねたことのない恋人のもとに、私は走っていく。
(18歳)

 

 

「ママ」と呼ばれ、ふりかえると、出ていったとばかり思った娘がドアから顔をのぞかせている。「ママ、今日、なんかいい感じ。迫力ある」娘は早口に言うと、ぱっと廊下に駆け出していった。 玄関のドアが開き、閉まる音がする。食器をかんたんに洗い、テレビを消し、ガスの元栓をしめ、バッグの中身を確認する。もう一度洗面所に向かい、鏡に向き合ってくちべにをぬりなおす。 そうして私は思い出す。かつて、くちべにをぬる母の背中を、じっと見つめていた自分の幼い日を。そのときの母がこわかった。置いていかれるような気がした。たしかに、くちべにをぬるときの母は、私の、私だけの母ではなかったんだろう。ひとりの女性に戻る、ささやかな瞬間だったのだろう。私の母は、そんな瞬間を決して手放さなかったのだ。 いってきますと、だれもいなくなった家に声をかけ、ドアを開ける。明るい陽射しがいっぺんに視界に入る。
(38歳)

 

 

私はめったに化粧をしない。外出するときはファンデーションをぬるくらいだ。くちべにもつけないことが多い。くちべにが嫌いなのではなくて、そのくらい、くちべには私にとってとくべつなのだ。ふだんつけないことによって、つけるときのとくべつな感じを、だいじにしたい。くちべにをぬることで、それがとくべつな日、とくべつな時間、とくべつな相手だと、自分に言い聞かせたいのである。だから、私のくちべにはなかなか減らない。
(ちいさなドラマ)