イメージ 1 
 
あらすじ
「つぶさなあかん」と言われる理由。「百田発言」で注目の「沖縄タイムス」と「琉球新報」は、毎日何を書いているのか。稀代の「怪物知事」を生んだ異常な背景を解き明かす!
《エスカレートする翁長氏の行動は、いずれも県紙2紙をはじめとした沖縄メディアが事前に煽ってきたものだ。翁長氏の知事就任以来、沖縄県の強硬姿勢と沖縄メディアの翼賛報道は、相互に増幅を繰り返しているように見える。言ってみれば、翁長氏は沖縄メディアの「脚本・演出」を忠実に実現する、偉大な「主演俳優」なのだ》(「はじめに」より)

 

ひと言
数日前にも沖縄で米軍ヘリが不時着し炎上というニュースが流れた。「またかよ…、どうして沖縄にばかり…」沖縄の人々の声が聞こえてきそうだ。ほんとうに沖縄の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
でもどう考えても日本の安全保障は要衝の地 沖縄にお願いし頼るほかはない。普天間の移設問題のこれまでの経緯や地理的条件を理解することもなく「最低でも県外」と沖縄の人々を喜ばせそして裏切った鳩山由紀夫。
ずっと裏切られ続けてきたという思いがあると思います。でも沖縄を含む日本を守る「国境の砦」(あとがきに書かれた著者の仲新城 誠さんの言葉を使わせてもらいました。語弊があったとしたらごめんなさい)という誇り高い使命を持つ沖縄と沖縄の方々を我々そして日本国は必ず全力で支援する。どうか我々を、日本国を信用してほしい。そしてどうか辺野古への移設を許してほしい。

 

 

最近は県民ですら、2紙の報道に眉をひそめる人が多い。15年4月には「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」(我那覇真子運営代表委員)が沖縄で結成された。結成趣意書では「(2紙は)左翼イデオロギー運動を反戦平和運動に偽装し県民を不幸と悲惨な奈落へ誘おうとしています」と言い切る。県内では、かつてなかった動きである。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

全国紙と異なる、沖縄独特の新聞事情も紹介しておこう。県民にとって県紙が欠かせない理由の一つは、県紙がほぼ毎日、1ページをまるまる割いて、亡くなった一般の人の遺族が出す「おくやみ広告」を載せる慣習があるからだ。おくやみ広告(告別式広告)は連日、10~20件ほど。亡くなった本人だけでなく、その縁者の名前もずらりと並ぶ。例えば喪主が妻の場合、「夫○○○○儀」の表題で始まり、「病気療養中のところ○月○日午後○時○分○歳をもって永眠致しました。生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせ致します」などという「前文」が続く。……。

 

 

イメージ 2

もし、こうした広告を見過ごした場合、関係者の葬儀に欠席して非難されることもあるから、県紙の購読は社会的なマナーですらある。したがって、たとえ近年、県紙の主張に賛同できなくなったとしても、なかなか購読中止に踏み切れないわけだ。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

沖縄の県紙2紙とタッグを組んで普天間飛行場の辺野古移設反対を訴える翁長雄志知事とは、どういう人物なのか。
「どうせ、われわれが反対しても、政府は辺野古に基地を造る。反対したほうが振興策を取れる」 これは、翁長氏が那覇市長時代、ある会合で、移設問題について語ったとされる言葉である。同席した県内の保守系首長たちが、2014年11月の知事選の際「確かに、翁長氏が言った」と記者会見などで暴露した。 「辺野古に基地は造らせない」と断言する現在の翁長氏からは、およそ考えられない発言だ。これが真意なら、翁長氏の辺野古反対とはパフォーマンスでしかない。翁長氏は「違う趣旨で言った」などと反論したが、似た発言があったことは事実上認めた。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

普大間飛行場移設問題は、尖閣問題とセットで考えないと全体像を俯瞰したことにならない。しかし「辺野古移設反対」一点張りで県民の共感を広げた翁長氏に対し、仲井真氏は県内移設を容認する根拠として「普天間飛行場の危険性除去」を繰り返すばかりだった。これは戦略ミスであり、「尖閣」を語らなかったことは、仲井真氏の敗因の一つだったと思う。 なぜなら危険性除去と県内移設容認は、論理的には必ずしも結びつかない。むしろ県外・国外移設こそ抜本的な危険性除去につながるからだ。県内移設を容認するのであれば、仲井真氏は当然、尖閣を狙う中国の脅威についても強調すべきだった。 「尖閣を守るためには、現時点では米軍の抑止力が必要だ。尖閣に近い沖縄本島に米軍がいることが、最大の抑止力になる」。そう明言すれば、県内移設が必要な理由として「危険性の除去」より、よっぽど説得力があったはずだ。少なくとも建前としては、それこそ米軍基地が「県内」でなくてはならない唯一最大の理由なのだから。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

草の根の運動といえども、将来は大きく発展する可能性もある。そうした運動の一つが、反基地のスタンスで報道を続ける県紙2紙に対抗し、15年春に結成された「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」だ。15年8月7日には東京で「緊急国民集会」を聞いた。 多くの講師が登壇したが、この日の主役は「沖縄の2つの新聞はつぶさなあかん」発言で物議をかもした作家の百田尚樹氏だった。 発言について「沖縄の2つのマスコミが怒るのはしゃあないと思うが、すべての新聞が『許さん』と怒った。集団的自衛権の行使だ」などと軽妙なトークを展開し、会場を沸かせた。 「正す会」代表で、15年9月には国連で翁長知事に対抗して演説した我那覇真子氏が決議を朗読。「(2紙の)偏向が目指すものは、日米安全保障体制毀損による防衛力の弱体化、報道しない自由を行使しての中国脅威の隠蔽」「二紙は、新聞を装う政治プロパガンダ紙と断じて間違いない」などと強く批判した。
(第2章 「異論」が封じられた辺野古問題)

 

 

尖閣問題に対する主要メディアの姿勢を見るにつけ、自分も報道に携わる身だが、「報道しない」ことも報道機関にとって一つの意思表示なのかと思うようになった。沖縄メディアの報道ぶりを見ていると「尖閣問題より基地問題が優先だ」という無言のメッセージを痛いほどに感じるのだ。
(第3章 地元メディアが語らない尖閣の危機)

 

 

日本の漁業者は、今や尖閣にはほとんど近づかない。海保の奮闘がなければ、尖閣周辺の海は中国船だけが跳梁(ちょうりょう)する無法地帯になりかねない。 沖縄の主要メディアのように、中国公船の動向に対する日本人の感覚が麻痺してしまえば、まさに中国の思うつぼだろう。中国当局が公言する「日本の実効支配の打破」とは、日本人のそういう心の隙を狙った「心理戦」でもあるはずだ。
(第3章 地元メディアが語らない尖閣の危機)

 

 

県紙や地元紙が、尖閣の危機や与那国島への自衛隊配備に冷淡な理由は何か。「県民の人権を抑圧する在沖米軍基地と戦う」という姿勢で県民の支持を得てきた新聞である。彼らとしては日米両政府こそ戦う相手なのだから、中国の脅威を直視できないのではなく、今さら直視したくないのだろう。 編集の実権を握っている人たちは、反戦平和運動が盛んだった東西冷戦時代に記者としての薫陶を受けた世代である。特定の世界観の刷り込みを受けているのかも知れないし、私たちとは世代の差もある。 八重山日報は「尖閣を守れ」というメッセージを発信し続けているつもりだが、その「尖閣」とは、石垣島の北にある小さな島々のことではない。「自分の領土は自分で守る」という日本人の領土意識そのものなのだ。
(第4章 与那国自衛隊配備を歪めるもの)

 

 

「国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に、国内の米軍専用施設の73.8パーセントが集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や県の振興開発にさまざまな影響を与え続けている」
翁長雄志知事は、初当選した2014年知事選、沖縄戦の戦没者を弔う全戦役者追悼式、ジュネーブの国連での演説、辺野古埋め立て承認取り消しの記者会見――節目節目の場で、常に「0.6パーセント」「73.8パーセント」という数字を「沖縄差別」の根拠として挙げてきた。
この2つの数字のギャップは確かに衝撃的だ。普天間飛行場の国外・県外撤去要求、米軍だけでなく自衛隊にも向けられる反感、非武装中立を是とする平和教育――。翁長知事と沖縄メディアは、2つの数字と「差別に苦しむ沖縄県の声」を錦の御旗に掲げ、こうした動きを沖縄から日本全国へ拡大しようとしている。しかし、国境の島に住む私たち八重山の住民がこの数字から感じるのは、差別というより、沖縄の悲しくも雄々しい宿命だ。国土面積のわずか0.6パーセントに過ぎない沖縄が、日本の安全保障を両肩に担い、必死に立っている。それは中国をにらむ要衝の地という地理的条件のためだ。翁長知事と沖縄メディアが主張するように、この宿命から逃げることが「負担軽減」なのだろうか。それは称賛すべきことなのか。人間が宿命を自覚して進むべき道を見いだすとき、宿命は使命に変わるのではないか。
普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、国との法廷闘争に突入する翁長知事は「世論頼み」と伝えられ、沖縄メディアと連携して一層苛烈な宣伝戦を仕掛けてくることが予想される。
在沖米軍基地の整理縮小は進めなくてはならないが、現在の国際情勢で、沖縄の非武装化は不可能だと私は考えている。それが米軍か自衛隊なのかは分からないが、沖縄を守る軍事力は必要だ。将来的に外国の軍事力に頼らない姿が実現すれば、恐らくはそれが真の負担軽減になるのだろうという気はする。しかし、日本を守る「国境の砦」という使命の放棄を、「負担軽減」と呼ぶ気には到底なれない。翁長知事と沖縄メディア、そして私の考えは、この点で決定的に違う。
沖縄戦で10万人もの犠牲者を出し、戦後も1972年まで27年間、本土から切り離されて米軍統治に苦しんだ沖縄が今、受難の歴史を振り返るとき、何よりも願うのは、平和で、豊かで、自由な日本を50年後、100年後の次世代に引き継ぐことである。国土面積のわずか0.6パーセントに過ぎない沖縄であっても、その理想を実現するため、どの都道府県にも負けない大きな役割を果たすことができる。それは県民の誇りだ。
安全保障の面だけではない。風光明媚な沖縄はアジア随一のリゾート地であり、世界に聞かれた交流拠点でもある。オンリーワンであると同時にナンバーワンとして、日本を牽引できる存在となる可能性を秘めているのだ。
翁長知事と沖縄メディアの「暴走」の先には、どのような沖縄の未来が、そして日本の将来が待っているのか。今こそ、「差別」ではなく「使命」を、「負担」ではなく「理想」を、堂々と語れる沖縄であってほしい。
2015年11月 八重山日報編集長 仲新城 誠
(あとがき)