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あらすじ
1909年。横浜の洋食屋で働きながら芸術の世界に憧れを抱いていた亀乃介は、日本の美を学び、西洋と東洋の架け橋になろうと単身渡航した青年リーチと出会う。その人柄に魅せられた亀乃介は助手となり、彼の志をひたむきに支えていく。柳宗悦や武者小路実篤ら白樺派の面々や、のちに陶芸家として偉大な足跡を残す富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎らと熱い友情を交わし、陶芸の才能を開花させていくリーチ。やがて彼はさらなる成長を求めて、亀乃介や濱田を伴い帰国。イギリスの西端、セント・アイヴスに工房を開く。

 

ひと言
読み終えてすぐ、ウィキぺディアでバーナード・リーチ、濱田庄司、柳宗悦、富本憲吉、河井寛次郎… を検索しました。沖亀乃介と沖高市はヒットしなかったものの、他はほぼノンフィクションで、いつもながら原田マハさんのキュレーター時代からの知識や好奇心 それらが基になって生まれる作品としての構成のよさ、それに「作家として取材しない限り書かない、書けない」という信念、これらすべてのことに頭が下がります。実際にセント・アイヴスまでお孫さんのフィリップ・リーチさんを訪ねたり、益子の陶芸家のお孫さんの濱田友緒さんを訪ねて登り窯の火入れを体験し、一晩中火のそばについていたりと…。
だから原田マハさんはいつもこんな素敵な小説を書くことができるんですね。高市がリーチと出会う昭和29年から始まり、最後はその25年後の昭和54年のセント・アイヴス。涙が溢れてくるような素晴らしいエピローグでした。ただひとつ言わせてもらえば全464ページ、100ページ短くてもよかったかな。素敵な作品をありがとうございました。次の作品も楽しみにしています♪

 

 

その飲み込みの早さに、亀乃介は舌を巻いた。 「どうしてそんなに覚えるのが早いのですか」英語で尋ねると、「君と一緒です。耳で聞くこと。頭で理解しようとしないこと。……誰かと会話を成立させたいと、強く願うこと」
(第一章 僕の先生)

 

 

「カメちゃん。君も、エッチングを一枚、自分で創ってみたまえ」 亀乃介は驚いた。 エッチングの材料は、貴重なものであり、先生の作品を創るためのものだから、たった一枚でも、自分は無駄にすることはできない。先生のお手伝いをさせていただくだけでも十分です。そう言って、亀乃介は、リーチの申し出を辞退した。 リーチは、しばし考え込む様子になったが、やがて顔を上げると、亀乃介の目を見て言った。 「そういうところが、君のよくないところだ」 君たち日本人は、何につけても相手を思いやり、相手を立てようとする。それは日本人の美徳であるのだと、自分はいつも感激する。 けれど、一方で、自分のことを卑下し、何でも遠慮して、こちらの好意を受け取ろうとしない。そうすることが美徳であると、子供の頃からしつけられているのかもしれない。でも、それは大きな間違いだ。 もしも君が、本気で芸術家になろうと考えているのだったら、まず、自分を卑下することをやめなさい。芸術家とは、誇り高き存在だ。お金も家も、何にもなくても、誇りだけはある。それが芸術家というものだ。 君がエッチングであれ、何であれ、私がやることにいつも興味を持って接してくれていることは、わかっている。ハンドルを回す君の目は輝いていたじゃないか。だから私は、いつも持っていたんだよ。僕にもやらせてください、と君が言い出すのを。リーチの言葉に、亀乃介は、平手打ちをされたような気持ちになった。――そうだ。先生の言う通りだ。……。
「画家で詩人のウィリアム・ブレイクというイギリス人がいる。彼が、とても興味深いことを言っているよ。それはね、こういう言葉だ。――『欲望が、創造を生む』。わかるかい?」 リーチの言葉、いや、初めてその名を聞いたブレイクという芸術家の言葉が、亀乃介の心に触れた。両手で包み込むようにして。――欲望が、創造を生む。 リーチは、続けて言った。 「この世界じゅうの美しい風景を描いてみたい、愛する人の姿を絵に残したい、新しい表現をみつけたい。そんなふうに、『やってみたい』と欲する心こそが、私たちを創造に向かわせるんだ。芸術家が何かを創り出す原動力は、『欲望』なんだよ」
(第一章 僕の先生)

 

 

「僕は、リーチに誘われてすぐ、迷うことなく、よし、行ってみようと心に決めた。どうなるかもわからないのに。……そんな大胆なことを、どうして僕が即決したのか、亀ちゃん、わかるか?」 濱田の声が問いかけてきた。亀乃介は、思わず首を横に振った。 「いいや。――どうしてだ?」 ふっと笑う声が聞こえた気がした。ややあって、濱田の清々しい声が聞こえてきた。 「わからないからだよ」 イギリスヘ渡り、見知らぬ土地で、日本式の陶芸を広める。 どうなることか、まったくわからない。 いままで誰もやったことがないこと、そして自分でもできるかどうかわからないこと。 だからこそ、やる価値があるのだ。濱田の声が、続いて聞こえてきた。 「僕は、好奇心が強い。人のやってないことをやってみたい。知らないことがあるなら、知りたい。体験したことがないなら、体験するまでだ。――ひょっとすると、とんでもないことかもしれない。人が聞けば、何をばかな、と笑うかもしれない。だけど、僕はやってみたい、知りたい気持ちを止められない。笑われたっていい。失敗したっていい。何もせずに悶々と考え込んでいるよりは、よほどいいじゃないか」 亀乃介は、壁と向かい合った。 胸の奥底から熱いものがこみ上げてきた。同時に、目頭が、じんとしびれて熱くなった。
――やったことがない。行ったことがない。体験したことがない。 だからこそ、やってみる。だからこそ、行ってみる。だからこそ、自分自身で体験してみる。 わからないことは、決して恥じることではない。わからないからこそ、わかろうとしてもがく。つかみとろうとして、何度も宙をつかむ。知ろうとして、学ぶ。 わからないことを肯定することから、すべてが始まるのだ。
(第五章 大きな手)