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あらすじ
戦後70年、政治的解釈も感情論も超えて、今こそ「東京裁判」を読み直さねばならない!
第二次世界大戦の戦勝国が敗戦国・日本の戦犯を断罪した東京裁判は「文明の裁き」なのか? 史実により史観のゆがみを正さねば、そして戦争の本質を知らなければならない時が来ている。判決後60年を経て遂に公開された原資料(国立公文書館資料)を、専門記者と二人の戦後史のエキスパートが徹底的に読み込み、東京裁判を「歴史」として位置付ける刺激的な試み。

 

ひと言
8月に再放送された「NHKスペシャルドラマ 東京裁判」を観ていたので、少し予備知識を得て読むことができました。少し難しく400ページを超える本でしたが どうにか読み進める(?)ことができました。ただし2週間では読み終えることができず、返却時に、もし次の予約が入っていなければもう一度お借りしたいのですが…。と4週間かかってやっと読んだことになります。読み終えて付箋だらけになった本にびっくり。

 

 

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もっともっと書き留めておきたい文章がいっぱいあり、インドのパール判事のことなども書き残したかったのですが…どうにか以下の分量まで減らしました。
いつもながら半藤一利さんの歴史(昭和史)を正確に解き明かしていこうという熱意と執念そしてその使命感に頭が下がります。ただ今回は対談という形からなのか半藤さんの持論がけっこう前面に出ている感が…。読了後の感想はこの本を読んでほんとうによかったということ。それにあとがきの日経新聞編集委員の井上 亮さんの言葉がすごく心に残りました。

 

 

完全無欠の裁判ではなかったのは事実だか、その不備を根拠にそこで明らかにされた事実までも「東京裁判史観」として全否定するのは間違っている。忘れてはならないのは、裁判は連合国側の一方的断罪に終始したわけではなく、日本側も大いに主張し、証拠を提出し、裁く側の問題点を突いたことだ。裁判では否定的に扱われた弁護側の資料も、時の経過とともに新たな歴史解釈の材料となりえるのだ。
(序章 歴史の書庫としての東京裁判)

 

 

【半藤】東京裁判に対する批判の第一は、それまでの国際法では「侵略戦争とは何かを定義していない」「戦争を始めた国家指導者を犯罪人として裁くという考え方はない」ということですね。事後に法律を作って裁いたということです。これでは「勝者の裁き」の批判は免れないという意見です。……。ただ、キーナン首席検事が裁判で冒頭陳述を述べた際、日本のほとんどの新聞はこれを大々的に扱ってそれに共鳴しています。「二十八名の被告らはすべて一名残らずこの日本の犯した極悪なる罪悪について責任を負わねばならぬ。彼らはいずれも極刑に値するものである」とキーナンは総括しました。これに日本の新聞はほとんど全部賛成しました。私は当時中学生でしたが、「そうなんだ、被告席に並ぶ二十八人は罪に問われてきっと極刑にされるだろう」というふうに納得したことを覚えています。今になって「勝者の裁きなんじゃないか」というふうに思われるわけですが。当時の日本の国民感情と今の国民感情は違いますので、その辺は非常に微妙なところですが、やっぱりこのことには最初に触れておかなければいけないと思っています。当時の国民感情としては「あの人たちは当然戦争責任があって、極刑に処せられるべきだ」というものがありましたからね。
(序章 歴史の書庫としての東京裁判)

 

 

【半藤】弁護側が一所懸命主張したことは四つほどありますね。一つは裁判所設置の権限はないということ。…。二番目は戦争の非犯罪性。戦争ってのは犯罪行為じゃないんだと。国家主権の争いの問題だから犯罪ではないということです。三番目は国家行為である戦争においては個人は免責だということ。四番目が裁判所条例の「平和に対する罪」などは事後法であり違法であるということです。ところがこれらの主張は全部却下です。取り付く島もない。
(第1章 基本文書を読む)

 

 

【半藤】ポッダム宣言には無条件降伏とは書いてなくて、軍隊の降伏なんです。軍隊は無条件降伏。国家は無条件降伏ではない。なぜ無条件降伏ではないかというと、最後の段階で東郷外務大臣か陸軍の要請に基づいて「国体は変更なきものと認む」という一条件をつけて受諾しているからです。したがって、私たち日本国政府は条件付き降伏です。「国体は護持されるということを連合国は保障しろ。それを条件として日本国は降伏する」と言ったんであって、日本国は無条件降伏と言ったんではないというのか、最近、私たちが全体的にとっている説です。キーナンやコミンズ・カーが、「何をいうか、おまえたちは無条件降伏したんだから文句をいうな」と言う筋合いではない。今になると言えるのですが、このときは押し付けられたんでしょう。向うは相当高飛車ですから。
【保阪】半藤さんが言われるように、確かに国体護持に対して了解したから受諾したんです。そういう意味でいうと、私も有条件降伏だったと思います。国体を護持し、「天皇を裁かない」ことを前提にして裁判は進められる。
(第2章 検察側立証を読む)

 

 

【井上】検察側の冒頭陳述を読んでいて、なんとなく自信の無さ、が感じられるのは「国家の不法行為に関して、歴史上初めて個人の責任が問われる。先例はない」と言っているところですね。要するに「事後法的に裁くんだ、何か悪い。先例よりも、文明の破壊を防ぐことが、この裁判の狙いだ。法律よりも、政治的な狙いなんだ」ということを白状してしまっている。
(第2章 検察側立証を読む)

 

 

【半藤】ところでね、戦犯の罪がA級B級C級になっていますけれど、これは本来A類B類C類とすべきだよね。なぜ「級」って訳しちゃったのかな。
【保阪】もともとの原文は「クラス」、あるいは「カテゴリー」なのかなあ。
【半藤】原文を見なければわからないけれど、クラスでしょう。A級B級C級というと、特別の級になったみたいだけれど、単なる犯罪の分類ですよ。
【井上】今でも誤用が多いです。
【保阪】「最大の極悪人」という意味で使われている。
【半藤】間違いなんですよね。A類、B類でしかない。二十八人がA級戦犯と言われているけれど、実はA類はこの人たちだけじゃなかった。A類裁判は二次、三次とやるはずだったんです。
【井上】A類で百人近く逮捕されていますね。
【半藤】二次、三次と裁判をやれば、もっと出てくるはずだった。しかし、アメリカ側が裁判どころではなくなってしまった。冷戦が始まってしまいましたから、裁判なんてやっている暇がない。だから裁判は一次だけで終わってしまって、A級戦犯が二十八人だけになったんです。
(第2章 検察側立証を読む)

 

 

【半藤】アメリカは戦争が始まってから「だまし討ち」を大宣伝しましたからね。ちなみにアメリカが開戦直後から「リメンバー・パールハーバー」と言い出したと思っている人も多いですが、それは違います。開戦後しばらくの間は、文字通り「スニークアタック(だまし討ち)」と言っていました。……。
【半藤】昭和十七年秋ごろ、ガダルカナル島の大激戦の際に、ハルゼーが意気の上がらない部下たちを奮起させるために「リメンバー・パールハーバー」と言って、それから広がったんですよ。だから、真珠湾攻撃の後すぐに「リメンバー云々」といってアメリカは団結したなんて書いたものがありますが、嘘です。初めは「だまし討ち」という言葉がものすごくアメリカ人を怒らせたんです。
(第4章 個人弁護と最終論告・弁論を読む)

 

 

【半藤】木戸は日記でなぜ東條を首相に選んだのか理由を書いています。東條は対米戦争の強硬論者なんですよ。その強硬論者を総理大臣に選び出せば戦争への道になるんじゃないか、というのが常識論ですよね。ところが、実はそれを止めるためだったという論理ですからね。「東條の勤勉さと真面目さをもって陸軍を抑えて開戦までいかないように止めようという意図でございます」と天皇に説明した。そこで天皇から「そうか、そういう意図でやるのか。虎穴に入らずんば虎児を得ずだね」という言葉か出た。
【保阪】毒をもって毒を制す、という意味なんですね。
【半藤】そういうことなんだけども、さあ、本当にそういう理由で東條を推薦したのかなあ。私は疑問に思っているんですよ。どちらかと言うと木戸は権力主義者ですからね。東條なら俺が使える。あの忠誠心の塊のような男なら、宮廷からコントロールできる。そう思って東條を選んだと思いますよ。
(第4章 個人弁護と最終論告・弁論を読む)

 

 

判決は五十五の訴因を訴因一のほか、各国への侵略戦争の遂行、戦争法規違反の命令や法規順守義務の無視など計十訴因に整理した。被告の有罪判定には不法な侵略戦争全般が認定されれば十分として、個別の戦闘などの事実は扱う必要はないという。このため米国が最も重視した真珠湾攻撃の「だまし討ち」が認められないということになったのだ。米国としては敗北に近い判定だったのではないか。判決は、そもそも事前通告の遅れは致し方ないというような言い方までしている。
この条約(ハーグ条約)は、敵対行為を開始する前に明瞭な事前の通告を与える義務を負わせていることは疑いもないが、この通告を与えてから敵対行為を開始するまでの間にどれだけの時間の余裕を置かなければならないかを明確にしていない。
このように指摘した上で、日本が攻撃を成功させるために交渉打ち切りの通告を攻撃直前に設定したが、「思いがけない事故に備えて余裕をおくということを全然しなかった」ため、大使館での作業の遅れで通告が遅れたのだと結論付けた。
つまり、だましたのではないと判定したのだ。東京裁判の判決がだまし討ちを認定していないことは意外に知られていない。
(第5章 判決を読む)

 

 

【井上】判決文をじっくり読んで驚いたんですが、真珠湾を認定から外すだけじゃなくて、さらに踏みこんで「だまし討ちではなかった」と言っていることですね。むしろ、「あの当時の状況では通告が遅れたのは当然、仕方なかった」というようなことまで言っています。
【半藤】これも意外に知られていませんね。今でも真珠湾攻撃は東京裁判で「だまし討ち」として裁かれたと思っている人か多いですから。
【井上】判決でこう言われたら、アメリカにとってはこの裁判は負けですね。
(第5章 判決を読む)

 

 

東京裁判は勝者が歴史を刻む舞台装置でもあった。敗者の側にそれを否定したい感情が湧きあがるのも無理はない。しかし、裁判で示された「史実」を勝者の史観として全否定しても、敗者の泣き言といわれるだけだろう。裁判を丁寧に分析し、事実の裏付けがあるもの、そうではないものとをしっかりと仕分けしていくことこそ、勝者の史観の歪みを正す最善の道だと思う。
そのためには勝者、敗者が何を主張し、何が是認され、何が否定されたかを記した文書の読解が不可欠である。従来の東京裁判論争はこれを欠いた「読まざる」論争だったのではないだろうか。
裁判否定論者の中には、真珠湾の無通告攻撃問題について「ルーズベルトの陰謀」を言い立てる声が多い。しかし、そのような説を持ち出すまでもなく、東京裁判の判決は「だまし討ち」を認めていないのである。判決を盾に堂々と歴史的汚名を晴らすことも可能であるのに、それがなされることが少ないのは、文書読解をなおざりにしてきた結果ではないのか。
東京裁判は勝者による歴史のトリックかもしれない。だが、「勝者の裁き」を言い立てることで、裁判と抱き合わせるように自己に不都合で不愉快な史実までも葬ろうというのは敗者の側のトリックでもある。文書を読まず、裁判の内容を理解しないままの感情的、政治的な東京裁判論争は、自己の史観を正当化するため裁判を都合よく利用した思想論争であって、歴史論争ではない。
終戦直後の日本は重要文書をことごとく焼却し、歴史上致命的な損失を被った。今ある文書が国民に公開されず、公開されても国民がそれを読もうとしないことは、焼却と同様の「財産放棄」ではないのか。そのような思いが本書執筆の動機でもある。
(あとがき)