イメージ 1 
 
あらすじ
野球部を引退したら、空っぽになってしまった渓哉。故郷美作を出て都会の大学に行けば、楽しい生活が待っているのかもしれない。でも、それは自分が望んでいることなのだろうか。親友の実紀は、きちんと自分の将来を見据えている。未来が見えずにいる渓哉は、ある日偶然、道に迷っていた美しい女性・里香を案内することになる。里香は美作に「逢いたい人がいる」と言うが…。モラトリアムの時期を迎えた高校生の焦燥、そして淡い恋を描く、心が澄み渡る青春小説

 

ひと言
あさのあつこさんの野球ものの話。確か岡山出身だったよなと思ってウィキペディアで調べてみると、岡山県美作市湯郷 出身で、高校も岡山県立林野高等学校。「まなか屋」や「みその苑」はヒットしなかったけれど あさのさん自身の青春時代を思い描いて書いたんだろうなぁ。
えっこれで終わり?淳也と里香は?渓哉はどうなるの?とも思いましたが、だらだらと長いよりもこれはこれでモラトリアムらしくて素敵な終わりかたなのかなぁ。

 

 

「わからん」渓哉は兄の前に立ち、こぶしを握った。 「どんな夢があっても、あの人は兄貴に逢いにきたんじゃないんか。兄貴のことが忘れられんけん美作まで来たんじゃろ。夢より、夢が実現するチャンスより兄貴の方が大切じゃと思うて……それで、ここまで来たんじゃないんか」 ここまで、美作まで、忘れられない男の許まで新幹線と電車を乗り継いで来たのではないのか。 「何でそれに応えんのんじゃ。何でみすみす帰してしまうんじゃ」 「渓哉、あのな」 「兄貴は臆病なんや。あの人が自分のために夢を諦めたって想うことが怖いだけなんじゃ」 おれは何を言っているんだ。……。
「おれにも夢がある」 弟を見据える。……。 「おれには、美作で叶えていく夢があるんじゃ。おれがおれのために摑んだ夢じゃ。おれはそれを捨てきれん。里香も同じじゃ。誰かのために諦められるようなもんじゃないんじゃ。お互いにな……。美作でしか叶えられん夢と美作では絶対に叶えられん夢とがある。おれたちは、一緒に生きていくわけにはいかんのんじゃ」 そこで淳也は微かに笑んだ。 「里香だって、わかっとる。でも、それをもう一度確かめたくて……確かめなんだら前に進めん気がして、それで、ここまで逢いに来てくれたんじゃ。一歩を踏み出すためには、どうしてもおれに逢わんといけんかったと言うてくれた。そこまで言うてくれたんじゃ」 (P145)

 

 

「大丈夫よ」 里香が微笑んだ。「わたしは大丈夫」踏み出そうとした、足が止まった。そうだ、この人は大丈夫なんだ。一人で泣けるほど大人なんだ。ホームに青い車体が滑り込んでくる。乾いた風の匂いが濃くなる。「ありがとう。渓哉くん。お世話になりました」 里香が頭を下げる。それからゆっくりと はくとに乗り込んでいった。 晩夏の、いや、初秋の風景の向こうに青い列車が消えた。消えてしまえば、一陣の風と蝉の声しか残らない。(P150)