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あらすじ
花も鳥も風も月も 森羅万象が、お慕いしてやまぬ女院のお姿。なればこそ北面の勤めも捨て、浮島の俗世を出離した。笑む花を、歌う鳥を、物ぐるおしさもろともに、ひしと心に抱かんがために……。高貴なる世界に吹きかよう乱気流のさなか、権能・武力の現実とせめぎ合う“美"に身を置き通した行動の歌人。流麗雄偉なその生涯を、多彩な音色で唱いあげる交響絵巻。

 

ひと言
707頁 けっこう読みごたえもあり、少し難しいので、古語を引きながらの読書でしたが、楽しく読ませてもらいました。恋愛小説のような西行と待賢門院との描き方もロマンチックでよかったです。

 

 

願ひおきし 花のしたにて をはりけり 蓮(はちす)の上も たがはざるらん

 

 

藤原俊成がこんな泣かせる歌を詠んだから、願はくは…… がこれほど有名になり、西行が伝説の人になったんだろうなぁ。 本書の締め括り

 

 

仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば

 

 

も泣かせてくれます。とても素敵な本をありがとうございました。

 

 

「畏れ多いことでございます」義清は冠をかぶった頭を深く下げました。「これから、北面をお暇いただきましたら、義清は浮世を出離し、ひたすら虚空を我身に引き受け、そこに見えてくる花の懐しさ、月の懐しさを言葉の器に掬いあげる所存でございます。それにしましても、このようなご厚情をかけていただいた院との契りの有難さを思うと、とても、川に舟を乗り出すようには、お別れ申しあげることはできません」義清の言葉は涙で跡切れました。「今はただ、花の懐しさ、月の懐しさに出遇うために、院とお別れさせて頂きとう存じます」鳥羽院も涙を浮べ、義清のほうをじっとご覧になりました。「もう一度、離宮の庭で、義清の見事な蹴鞠を見たかった」鳥羽院が立たれたとき、義清は歌を認(したた)めた短冊を差し出しました。

 

 

惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をも助けめ

 

 

歌を読み終ったとき、鳥羽院は義清のそばに片膝を突き、義清の手を執ってこう言われました。 「天位、臣ヲ以テ報ハルというが、それは、義清のような臣を持つことであろうな」 それから侍従二人を従え、寝殿の奥へ遠ざかってゆかれました。義清は頭をあげることができませんでした。その義清の身体を包むようにして、八条第を囲む木々から一段と喧しい法師蝉の声が止むことなく鳴きしきっていたのでした。
(七の帖)

 

 

「あの事件(得子さま呪胆事件)がかかわりないとは申しません。でも、そのことがなくても、出家するつもりだったことは本当です」 「法金剛院の建立を思い立たれた頃でございますか」 「その頃から御仏のご慈悲なしには生きてゆくことはできないことは知っておりました。でも、出家のことまでは思っていませんでした」 「では、こんどはじめてご決心を……」 「そうも言えませんね」待賢門院さまは一瞬面映ゆいように微笑されました。「あなたは義清が訪ねてくれた春の夜を覚えていましょうね」 「はい、桜の花に月がかかっておりましたことも」 「あの人が出家したと、堀河が私に話してくれたのですよ」 「そうでございました」 「あなたは義清が、いえ、西行でしたね、西行が、森羅万象(いきとしいけるもの)をいっそう美しく見るために、浮世を離れるのだと話してくれたのです。覚えていますか。私はあなたの言葉を聞いて、身体が震えるように思いました」  「よく覚えております」  「私はそれまで出家遁世とは、厭離穢土のこととばかり考えていました。それを西行は別のものに変えてくれたのです。私が出家したい、出家して、いまの私には見えない浮世の本当の美しさを、心の底から味わってみたい、とそう考えるようになったのは、西行のことを聞いたときです」 「では、門院さまは西行どののように美しいものを求めて、出家なさると仰せられるのですか」  「森羅万象を曇りない眼で味わうために。たしか西行から贈られた歌に、そういうのがありましたね」  私は西行どのの歌を口ずさみました。

 

 

雲晴れて 身にうれへなき 人の身ぞ さやかに月の かげは見るべき

 

 

「その心ね。私も、いま何もかも捨て切って、西行が言ってくれたもののなかに、本当に抱いて貰える、と思えるのです」  「西行どのの申された?」  「堀河、いつか、あなたに、西行をいとしく思っていると話したことがありましたね」  「畏れ多いことでございます」 「あの人は、六道輪廻の涯まで魂を抱き、温め、私を決して一人ぼっちにはさせない、と誓ってくれました」  「門院さまは、畏れながら、それを……」
(九の帖)

 

 

「西行殿は出離遁世されても、この世の匂いは濃く持っておいでだ」 次兄の為業が感
に耐えぬといった面持でつぶやいた。「いや、西行殿は現世が嫌になられたのではない。現世が好きでたまらないので、遁世されたのです」三兄寂超は西行のことを口にするときのつねで、尊敬の色を浮べ、うやうやしげに為業に答えた。 「現世が好きなのに、現世を棄てる。これはどういうことですか」 為業は寂超ではなく西行にむかって訊ねた。しかし寂超が答えた。「現世に留まると、現世のしがらみにとらわれ、現世のよさが見えてこないのです。西行殿の歌を見て下さい」  寂超は低い声で次の歌を口ずさんだ。

 

 

身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ

 

 

「なるほど。私たち現世を棄てぬ人間のほうが、本当の生き方をしておらぬというわけですな」 長兄為盛は打ちつづく不遇の生涯を思い出したのか、ふと涙ぐむような調子で言った。
(十二の帖)

 

 

師西行は、私を呼んで「湖のあの青いきらめきをとても見通すわけにはゆかないな」と囁いた。 「歌でございますね」私はそう言うと、懐から矢立と料紙を取り出して師に渡した。「歌を詠まぬと祈誓したが、どの歌を最後にすると神明に申しあげなかった。今改めてこの歌を最後に、と祈誓しよう」 師はそう柔らかな笑顔でつぶやくと、

 

 

にほてるや なぎたるあさに 見わたせば こぎ行跡の 浪だにもなし

 

 

と書いた。慈円はすぐ、

 

 

ほのぼのと あふみのうみを こぐ舟の 跡なきかたに 行こころかな

 

 

と和した。おそらく慈円も大きな鼻のほうへ近々と寄った眼で、師西行が漲り渡る白い光のなかに溶けてゆく姿を見ていたのではないだろうか。師は慈円との約束を果したことを何よりも喜んでいた。比叡山を下りたとき、大して疲れも見えなかったのはそのためだった。しかしその年の終り、弘川寺に戻ると、病はふたたび師西行の身体に忍び寄った。 年があらたまっても、師の病は恢復する様子に見えなかった。師は終日うつらうつら眠り、目覚めては窓を開けさせ、桜の木々に眼をやった。 「秋実、もう間もなく花が開くな」ある朝、師はほほ笑みを浮べながら言った。「春ごとに桜が咲くと思うだけで、胸が嬉しさで脹らむ。これだけで生は成就しているな。どうか私が死んだら俊成殿に伝えてほしい。桜の花が人々の心を浮き立たせるとき、その歓喜のなかに私がいるとな」私は師西行の手を握り、涙をこらえた。そしてかならず俊成殿に師の言葉を伝えると耳もとで言った。師は眼をつぶり、ほほ笑んでうなずいた。 私はふと、長楽寺の庭で初めて会った折の師の柔和な眼を思い浮べた。師はできるかぎりのことを成し終えて、いまここに横たわっている。思い残すこともなく、大いなる眠りに就こうとしている。そこには暗いものは何一つなかった。ただ桜だけがその美しさゆえに、私を孤独のなかに取り残した。桜は気品ある華麗な美しさで咲いた。だが決して温かな色ではなく、冷たく、無限に寂しく、儚いのだ。 師西行はこうして満月の白く光る夜、花盛りの桜のもとで、七十三年の生涯を終えた。 
のちに俊成殿が西行を偲んで次のように書いたのは、最後の師の言葉に強く心を動かされたからであった。

 

 

かの上人、先年に桜の歌多くよみける中に

 

 

願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃

 

 

かくよみたりしを、をかしく見たまへしほどに、つひにきさらぎ十六日、望日(もちのひ)をはりとげけること、いとあはれにありがたくおぼえて、物に書きつけ侍る

 

 

願ひおきし 花のしたにて をはりけり 蓮(はちす)の上も たがはざるらん

 

 

おそらく俊成殿のこの歌以上のことはもう書くことができないだろう。もし何かひとこと書くとしたら、桜の花に陶酔(うかれ)る日、ぜひその花の一枝をわが師西行に献じてほしいということだ。師は機嫌のいいある日私にこんな歌を示されたからである。

 

 

仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば

 

 

(二十一の帖)