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あらすじ
流鏑馬の達人で蹴鞠もこなす、和歌の天才、西行。平安末期のドラマチックな時代の中で、武士として僧侶として歴史の現場に立会い奔走した姿と、待賢門院璋子との恋を描く、待望の歴史小説。

 

ひと言
やっぱり西行はいい!!。白洲正子さんの西行もよかったけれど、この本も何回でも読み返したくなるような本でした。
以前レンタルDVDで観たNHKの大河ドラマ「平清盛」の、藤木直人さんが演じた西行(佐藤義清)、檀れいさんの待賢門院璋子を思い浮かべながら読みました。壇れいさんすごくきれいだったなぁ。もう一度「平清盛」のDVDを観なおしてみたいなぁと思いました。

 

 

仕官はかなわなかったが、領地にいても仕方がない。祖父の季清の配慮か、あるいは監物清経が画策したのか、義清(のりきよ)は藤原実能(さねよし)という上流貴族の家人として出仕することになった。のちに左大臣となり徳大寺家を興す藤原実能は、摂関家と同じ藤原北家ではあるが、嫡流からははずれた閑院流という家柄である。しかし父の藤原公実(きんざね)が白河院の側近として仕えたため、いまや摂関家にも劣らぬ名家となっていた。鳥羽院の母は公実の妹にあたる。従って徳大寺実能は鳥羽院の従弟にあたることになる。朝廷に仕えるならともかく、貴族の家人になることには抵抗があった。だがとにかく京に上ることはできる。青墓よりも鄙びたこの田仲荘から脱出できるなら、人に隷属することも耐えられると思った。
義清は何も知らなかったが、仕えることになった徳大寺実能は、崇徳帝の母、待賢門院の兄であった。そこから義清の運命が思わぬ方向に動き始める。
(第一章 和歌にすぐれてめでたきは)

 

 

 

中納言の局がまるで母親か姉のように、声をかけてくれた。「判官どの。黙っていては失礼ですよ。あなたは中宮のことをどのように思っておられるのですか。思うところを遠慮なくお話しなさいませ」 かたわらの堀川の局が励ますように言った。「そなたは和歌の名手ではありませぬか。思いのたけを和歌にしてお詠みなされ」 中納言の局が声を高めた。 「さようでございます。和歌ならば、夢を語ってもよいのでございます。幻のごとくはかない夢を和歌に託してお詠みになればよいのです」 女官たちはいずれも和歌の名人であった。和歌を詠めというのは、言葉に夢を託して生きる女官たちの挑発でもあった。 弓馬と剣に関しては自負があった。蹴鞠も難しいことではない。だが和歌については書を読んで学んだだけで、いまだ自負をもって歌を詠んだことはなかった。歌会の席に招かれても古歌を真似て言葉を調えるだけで、おのれの心の奥底にまで踏み込んで、叙情の歌を詠んだわけではない。言葉に命をかけているわけではなかった。 いま初めて、言葉に命をかけたいと、強く思った。 いまここで歌を詠めなければ歌を学んだ意味もなく、この世に人として生まれた甲斐もない。 言葉がひとりでに□をついて出た。

 

 

 

嘆けとて月やは物を思はする
かこち顔なるわが涙かな

 

 

月に恋する……。 身分違いの恋を月にたとえるのは和歌の常套であった。 まるで嘆けといわんばかりに月はわが心を惑わせるのか。月のせいで悩んでいるといいたげな顔つきでわたしは涙を流している。 これまでにも月を主題とした歌を詠んだことがないわけではない。だがいま初めて、自分の真実の思いが言葉になって、鋭い刃のように解き放たれた気がした。 月やは物を思はする、という反語を用いて、月に問いかけ、反転してわが身の寂しさをうったえた。言葉による技巧であったが、そこには技巧を超えた真実の心情がこめられていた。 女官たちの間から驚きの声が上がった。素直な心情の吐露が比喩と反語による技巧に包まれて、古歌にもひけをとらぬ見事な和歌に結実している。
堀川や中納言が口々に和歌の技巧を褒めそやした。誰もがしばらくの間は和歌の巧みさについて語っていた。それから急に、歌にこめられた心情の深さに女官たちは思い到ったようだ。部屋の中がしんと静まりかえった。 静寂の中に、一陣の風のように声が響いた。 「女というものはつねに殿方の心を迷わせ、嘆かせたいと念じているのです。そうではありませぬか」璋子は同意を求めるように堀川や中納言の方に目を向けた。
(第三章 雲の上なる月を見んとは)

 

 

 
乙前は遊女である。請われて歌うことに抵抗はない。やや嗄れた味わい深い声が響き始めた。

 

 

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さへこそ動がるれ

 

 

最初の「遊びをせんとや」という言葉を聞いただけで、西行は目頭が熱くなるのを覚えた。有名な今様だ。最初の一語を聞けば、曲の最後までが頭の中に浮かび上がる。これは遊女の悲しみを歌ったものだろうか。遊女は子供を里子に出して働き続けなければならない。近所の子供の声を聞いて、遠く離れた自分の子供のことを思い出し、胸をふるわせる。そんな意味の歌だろうか。 遊女は遊ぶのが仕事だ。だがそのためにわが子と親しむことは許されない。その悲しみが「遊びをせんとや」という言葉にこめられている。その遊女の悲しみと同じものが、待賢門院璋子の胸の内にも秘められていたのではなかったか。そんな気がして、ふと目を転じると、四ノ宮の目に光るものがあった。曲が終わるころには、四ノ宮は肩をふるわせて号泣していた。その日以来、四ノ宮は今様に狂うことはなくなった。酒も断って書を読むようになった。
(第四章 遊びをせんとや生れけむ)