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あらすじ
2016年 生誕300年を迎え、益々注目される画人・伊藤若冲。緻密すぎる構図や大胆な題材、新たな手法で周囲を圧倒した天才は、いったい何ゆえにあれほど鮮麗で、奇抜な構図の作品を世に送り出したのか? 底知れぬ悩みと姿を見せぬ永遠の好敵手。当時の京の都の様子や、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭ら同時代に活躍した画師たちの生き様も交えつつ、次々に作品を生み出していった唯一無二の画師の生涯を徹底して描いた、芸術小説の白眉といえる傑作。

 

ひと言
昨年、生誕300年でかなり話題になった伊藤 若冲。ちょうど一年前の2016年5月19日(木)、東京都美術館の『若冲展』では最大待ち時間 350分!(チケット購入60分、入館まで290分)という空前絶後の大記録を作りました。明後日の平成29年5月21日(日)まで相国寺承天閣美術館で生誕300年記念『伊藤若冲展 後期 』が行われていますが、ちょっと観に行くのは無理かなぁ。でもいつか機会があれば、画面を小さな碁盤の目状に区切り、そこに一つ一つ色を差す、現代のデジタルアーツ的技法で書かれた若冲の絵を是非この眼で観てみたいです。

 

 

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「わし、今日ほどお師匠はんの腕に驚いた日はあらしまへん。涅槃図をこれほど奇妙な絵にしてしまわはるとは、さすがどすわ」若演が誇らしげに胸を張る通り、それはこれまで見たことがないほど奇抜な画幅であった。画面の中央、伏せられた龍の上に、巨大な二股大根が横たえられている。そのぐるりを囲むのは蕪に蓮根、椎茸、瓜、柿……ありとあらゆる蔬菜と果物が大根を取り囲み、背後には八本の玉蜀黍が葉を茂らせていた。「お釈迦さまの入滅を、在原業平はんや松尾芭蕉はんに見立てた絵は、聞いたことがあります。そやけどお釈迦さまを大根に、十大弟子や眷属(けんぞく)衆をその他の青物や果物に見立てはったんは、お師匠はんが最初ですやろ」 そう、若演の言う通り、目の前の絵はまさしく涅槃図以外の何物でもない。濃淡のある筆で生き生きと描かれたおびただしい果蔬は、人間そのものの如くに身をよじり、中央の大根を見つめて声なきうめきを漏らしていた。 八本の玉蜀黍のうち、右側の四本の葉が垂れ下がっているのは、釈迦の入滅の際、八本の沙羅双樹が一斉に花を開かせ、すぐに枯れ果てたとの故事を踏まえているのだろう。そう思って眺めれば、玉蜀黍の手前に並ぶ桃や梨は普賢菩薩や弥勒菩薩、木通(あけび)や蓮の葉は十大弟子の見立に違いない。
(雨月)

 

 

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四愛とは、菊・蓮・梅・蘭の併称。四君子と呼ばれる蘭・竹・菊・梅とともに、好んで画題に取り上げられる植物であった。(まだら蓮)

 

 

若冲という号は、枡源の主を退くと決意した際、大典が『老子』第四十五章の「大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若(ごと)きも、その用は窮まらず」、すなわち「満ち足りたものは一見空虚と見えるが、その用途は無窮である」という一節から付けてくれたもの。色の上に色を重ねるが如き華やかな絵に漂う寂寥(せきりょう)を承知の上で、だからこそ若冲の絵には、何者にも真似できぬ意義があると断じての命名であった。
(鳥獣楽土)

 

 

(これは――) 真っ先に視界に飛び込んできたのは、夥しいまでの色の洪水。そのあまりの華やかさに圧倒されて目をしばたたけば、そこには見覚えのある熊が、白象が、新たな命を得て画面に収まっていた。 画面を小さな碁盤の目状に区切り、そこに一つ一つ色を差す技法は、若冲が晋蔵と描いた二曲屏風とそっくり同じ。そしてあろうことか目の前の小ぶりな屏風に蝟集(いしゅう)する鳥獣たちは、若冲がこれまで長年にわたってあちこちに描いてきた無数の動物の姿態と、寸分の違いもなかった。 かつて動植綵絵(さいえ)の一幅に描いたのと同じ鳳凰が、左隻の中央で大きく翼を広げている。高い木の上から獣たちを見下ろす猿は、いつぞや上京の豪商の依頼で描いた掛幅と瓜二つ。またその隣で空を仰ぐ豹は、まだ嫁入り前のお志乃に顔料を作らせて描いた、押絵貼屏風の豹そのままであった。
(鳥獣楽土)

 

 

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媼は更に言葉を続けた。「絵師の風上にも置けへん点は、君圭もお前と同じや。違う点があるとすれば、お前は自分自身のために絵を描き、あいつはお前を苦しめるためだけに絵を描いてることやろか。けどどちらにしたところで、人の生きる喜びや悲しみ、山々や生き物たちの晴れやかな美しさが描けへんお前らなんぞ、本物の絵師やあらへんわい」 生の喜びの欠落した、若冲の絵。そしてその贋絵ばかり描く君圭を、この老婆は長年、苦々しく眺めてきたのだろう。並々ならぬ絵の腕を持ちながら、その才能を深い憎悪の中に埋もれさせた君圭を惜しみ、その憎しみの原因となった若冲を嫌い――そしてこの年まで、君圭に本当の絵の意義を与えてやれなかった己自身に、腹立たしさを覚えているのに違いない。 もし自分が存在せねば、君圭は応挙の如く、他人のために絵を描く画人として、大成したであろうか。いや、姉の自死によって若冲を憎まなかったならば、そもそも彼は絵筆なぞ執ろうとも思わなかっただろう。
(日隠れ)

 

 

「いかに世が推移したとて、絵は決して姿を変じませぬ。描き手である画人が没しようと、それを描かせた大名が改易となろうと、美しき絵はただひたすらそこにあり、大勢の人々を魅了致しましょう。ならばその世々不滅の輝きを守ることこそが、儚く変ずる世に生きる者の務めではございますまいか」
(日隠れ)