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あらすじ
現代のロンドン。日本から美術館に派遣されている客員学芸員の甲斐祐也は、未発表版「サロメ」についての相談を受ける。このオスカー・ワイルドの戯曲は、そのセンセーショナルな内容もさることながら、ある一人の画家を世に送り出したことでも有名だ。彼の名は、オーブリー・ビアズリー。保険会社の職員だったオーブリー・ビアズリーは、1890年、18歳のときに本格的に絵を描き始め、オスカー・ワイルドに見出されて「サロメ」の挿絵で一躍有名になった後、肺結核のため25歳で早逝した。当初はフランス語で出版された「サロメ」の、英語訳出版の裏には、彼の姉で女優のメイベル、男色家としても知られたワイルドとその恋人のアルフレッド・ダグラスの、四つどもえの愛憎関係があった……。
退廃とデカダンスに彩られた、時代の寵児と夭折の天才画家、美術史の驚くべき謎に迫る傑作長篇。

 

ひと言
「サロメ」「オスカー ワイルド」名前ぐらいは聞いたことはあるけれど、ほとんど全く知らないことばかりだったので勉強になりました。

 

 

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おまえの口に口づけしたよ、ヨカナーン
「ステューディオ」誌創刊号より 1893

 

 

甲斐は、ある日、祖父の留守中に入ったアトリエで、デスクの上に広げられていた〈イギリスの画家たち〉という画集を何気なく手に取った。その中に、〈サロメ〉がいた。
暗い他の水面の上、ふわりと空中に浮かんだ妖しい女の姿。燃え上がるような黒髪と、天女のごとき純白の帯が空中を漂う。男の首――いましがた刎ねられたのか、したたり落ちる生血は白い帯となって、水面にとろけ落ちている――を掲げ、陶然とそれに語りかける妖女の邪悪な顔。――
そのページに、少年だった甲斐は釘付けになった。奇妙で、どこかそらおそろしく、強烈な磁力を発する絵。けっして見てはいけないものを見てしまったような、けれどどうしても目を逸らすことのできない、メデューサの魔力がその絵にはあった。
(プロローグ)

 

 

サロメのエピソードは、新約聖書の聖マタイ伝に記述がある。ごく短い記述で、実は「サロメ」という名前すら出てこない。しかし芸術家たちは、この短い記述に少女サロメの魔性を読み取って、自分たちの創作に移植したのである。
ユダヤのヘロデ王は、兄弟の妃であったヘロディアを娶ったが、これに意見した預言者ヨハネ(ヨカナーン)を牢につないだ。ヨハネに、ヘロディアは殺意を抱くが、ヨハネが聖人であると知っているヘロデ王はそれを許さない。ヘロデ王の誕生日に、ヘロディアの娘が踊りを披露し、喜んだ王は、なんでも褒美をつかわすと約束する。娘は母と相談して、ヨハネの首がほしいと言う。衛兵が獄中のヨハネの首を刎ね、盆に載せて娘に差し出す――というのが、聖書の中の記述である。
獄につながれた預言者、彼を恐れる王と殺意を抱く妃、年若い姫君のダンス、そして少女が聖人の首を所望する異常性。――世紀末の頽廃主義者を標榜するオスカー・ワイルドが、いかにも好みそうな素材だ。
(プロローグ)