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あらすじ
僕らは誰も彼女のことを忘れられなかった。私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。旅の夜の怪談に、青春小説、ファンタジーの要素を織り込んだ最高傑作! 「夜はどこにでも通じているの。世界はつねに夜なのよ」
(2017年本屋大賞ノミネート10作)

 

ひと言
2017年本屋大賞ノミネート10作に選ばれ、すぐに図書館に予約を入れた本です。ファンタジー、サスペンスホラー? 最初からわけがわからなくて、伏線だろうからと どんどん読み進め、最終夜の鞍馬でどう回収してくれるのかなと楽しみにしていましたが……。第二夜 奥飛騨 第三夜 津軽は必要があったの?森見さんの本としてはいまいちでした。
それよりも、私の好きな西行が 想い続け、失恋して出家の原因にもなったといわれる法金剛院の待賢門院璋子(たまこ)と、夢の中で逢瀬を遂げたことを詠んだと言われている

 

 

「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり」

 

 

が出てきて、この本を読み終えた後は、すぐに璋子と西行のことをいろいろと調べてみました。この本よりそちらのほうが楽しかったかも。
それにしても白河上皇に寵愛され、孫の鳥羽天皇の中宮で、崇徳天皇・後白河天皇の母である待賢門院璋子。「桜」に「璋子」を想い重ねて 生涯 桜を詠み続けた西行。璋子って絶世の美女だったんだろうなぁ。
森見さんは長谷川さんと璋子を重ねてこの小説を書いたのかなぁ。今年は寒い日が多かったからきっと綺麗な桜だろうなぁ。この春 京都 JR花園駅すぐの法金剛院の桜を観にいきたいと思いました。

 

 

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(法金剛院の桜)

 

 

冷たい春の夜風に吹かれて白い花弁が降ってきた。輝くような梢を見上げて岸田が言った。「春風の花を散らすと見る夢は――」「そりゃ、なんだ」佐伯は言ったが、岸田はそのまま続けた。「さめても胸の騒ぐなりけり」これは西行法師の歌なんだ、と語る岸田の顔は夜桜と同じように青白かった。憔悴していたのだろう。その冬から春にかけて岸田は異様な気迫で仕事に打ちこんでいたからだ。「分かるかい」と岸田は言った。「これが『夜行』だよ」
(第四夜 天竜峡)

 

 

「見たいかね」中から現れたのは、岸田の銅版画にちがいなかった。暗い谷間の底を黒々とした川が流れている。どこからともなく射す光が川の水面を不気味に光らせている。目を引くのはその川の対岸、黒々と天を衝く山の裾に広がる白い砂利の浜と、輝くように満開の花を咲かせている夜桜だった。その桜の下にひとりの顔のない女性が立ち、こちらに呼びかけるように右手を挙げている。春風の花を散らすと見る夢は――。「これは『夜行』という連作の一つで『天竜峡』という」「不思議な絵ですね。夢の風景みたい」「岸田が描いたのはこんなシロモノばかりさ」
(第四夜 天竜峡)

 

 

もしも芸術家というものが隠された真実の世界を描く役目を果たしているなら、こんなに筋の通った話はない。けれども僕はそんな理性的で美しい説明を信じない。真実の世界なんていうものはどこにもない。世界とはとらえようもなく無限に広がり続ける魔境の総体だと思う。きっと田辺君なら分かってくれるだろう。僕の描く夜の風景が魔境なら、胸を騒がせる西行の桜も魔境なんだ。僕らは広大な魔境の夜に取り巻かれている。「世界はつねに夜なんだよ」と岸田は言った。
(第四夜 天竜峡)

 

 

その夜、彼女は宇宙飛行士の話をした。ソ連の宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という有名な言葉がある。今では宇宙からの映像など珍しくもないから、我々はその「青さ」を知っているつもりでいる。しかし宇宙飛行士の語るところによれば、本当に衝撃を受けるのは背景に広がる宇宙の暗さであるらしい。その闇がどれほど暗いか、どれほど空虚かということは、肉眼で見なければ絶対に分からない。ガガーリンの言葉は、じつは底知れない空虚のことを語っている。その決して写真にあらわせない宇宙の深い闇のことを考えると、怖いような感じもするし、魅入られるような感じもする。
「世界はつねに夜なのよ」と彼女は言った。
やがて賀茂大橋までやってきた。飛び石を伝って川を渡る彼女の後ろ姿を私は見ていた。夜が終わっていく、と私は思った。とりたてて何が起こったというわけでもないのだが、その夜になって私はようやく、自分が彼女に惹かれていることに気づいた。それは九月のことで、その翌月が鞍馬の火祭だった。「みんなで行ってみよう」と言いだしたのは誰だったのだろう。ひょっとすると私だったのかもしれない、と思う。
(最終夜 鞍馬)